Wandern: februar 2005アーカイブ

今回、ムアバッハに入る前の中継点としてコルマールの街に宿泊した。コルマールへは、パリからストラスブールで乗り換えて電車で。コルマールはストラスブールやミュールーズと並んでアルザスを代表する美しい街。
colmar.jpg

数多い木組みの家、小ヴェニスと呼ばれるピトレスクな運河の一角があり、ドイツ料理を洗練したような郷土料理、上質の白ワインが味わえる。
これは Brasserie Les Dominicains で食べた Quiche Lorraine。ワインは地元のミュスカ。
quiche.jpg

コルマールからサン・バルナベへは、自家用車やレンタカーを使えば問題ないが、そうでない場合は、コルマールからタクシーで30ユーロあまり。コルマールから3.1ユーロのバスでGuebwiller ギュープヴィラーまで行き、そこからタクシーに乗れば10ユーロ。しかしGuebwillerのタクシーは街はずれにあって分かりにくい。
コルマールの駅前からは、一日三本(週末と祝日は2本)、ライン川にかかる橋を渡ってドイツのブライザッハに行くバスが出ている。ブライザッハから環境政策で有名なフライブルクまでは電車で30分。

#宿泊:ムアバッハの村に Hôtel Domaine Langmatt。ムアバッハの少し手前に、今回泊まった Hostellerie St-Barnabé。グラン・バロンの肩にホテル・レストラン Chalet-Hôtel du Grand Ballon (tel.: 03 89487799, Fax: 03 89627808)。登山客用の大部屋の他に、トイレ・シャワー付きの部屋も9室ある。

#Ferme Auberge フェルム・オーベルジュというのはもともと牧畜農家が副業でやっている、登山者に食事を出してくれる山小屋。酪農家たちは、毎年、5月末に、牛たちを山の上の牧草地に上げ、9月末に下に降ろす。ヴォージュ山脈の酪農業は、第一次世界大戦の戦場となったことで大きな打撃を受けた。そこからの打開策として、また登山客がちょうど多くなってきたことを受けて、このフェルム・オーベルジュははじめられた。1971年には上部ライン地区の35の酪農農家が「自然に帰ろう」という標語のもとに Ferme Auberge の協会を組織し、やがてフランスの他の地域を含む組織となった。その土地の、農家の食事そのままを提供するのが本来の趣旨で、当初は、出す料理の70パーセントが自家生産でなければならないという厳しい規制があったが、これは1982年に緩和された。料理の材料の一部に、アルザスやヴォージュで生産されたものを使えばいいだけになったのである。典型的な「酪農家の食事」repas marcaire ルパ・マルケールということになっているのは、前菜にレバーペーストとサラダ、メインディッシュに豚の肩肉の薫製(collet)と、灰の中で焼いたジャガイモ(roigebrageldi)、デザートにシアスカース siasskas と呼ばれる、一種の凝乳にキルシュヴァッサーと砂糖を入れたもの、あるいはコケモモのトルテ、といったところ。もちろん、もっとシンプルなメニューもたくさんある。持ち帰り用に自家生産のチーズを販売しているところも多く、一部のフェルムでは宿泊もできる。夏場の利用は特に問題ないが、山の上での放牧が終わる9月以降は、週末だけ開けるところ、午後6時から開けるところなどが多くなるので、地元の観光案内所 Office du Tourisme などで確認する必要がある。Guebwiller の観光案内所は、73, rue de la République, 68500 Guebwiller。電話番号は、03 89761063。ファックスは 03 89 765272

ちなみに、フランス・アルザス日本代表部のページはこちら。どちらかというと企業誘致のための宣伝サイトのようだ。この中の、「アルザスの特徴」のページ、「特徴」の11と12が取って付けたみたいで面白い。僕にとって大事なのは13なんですけど。

アルザスの地名の表記は難しい。アルザス方言というのは基本的にはドイツ語の一種で、地名もその系統のものが多い。ル・グラン・バロンというのはフランス式の名前だが(ドイツ語ではデア・グローセ・ベルヒ)、Murbach などは明らかにドイツ的な地名である。そのつづりをフランス式に発音(ミュルバック)しても通じるが、標準ドイツ語的な発音(ムアバッハ)の方が地元の感覚には近いように思われる。この一連の記事では、明らかなフランス語のほかは、ドイツ語的な発音に似せてカナ表記しておいた。

山道は終わりだが、この谷の舗装道路を下っていくと、まだ見ものがある。まず途中、左手の路傍に大きな石造りのキリスト磔刑像がある。途中の集落で道が二手に分かれるところでは、橋を渡って右の道が車が通らなくていい。すぐにまた合して、もう一度二手に分かれるところが Murbach の村。山あいに唐突に出現する巨大なロマネスク様式の教会(かつての修道教会)を真ん中に、道は左右に分かれて通っているのだ。家は十軒もあるだろうか。車道に出てからここまで15分程度。教会を見学するなら左の道がいい。
murbach.jpg

右の道を行くとすぐに、小川にかかる木橋があって右の山に入る道がついている。これがここから Munsteraeckerle に登るときの登山口(青丸の印)。これをやりすごして舗装道路を進むとすぐにまた教会の左を通ってきた道に合し、Murbach の犬の紋章の付いたバロック様式の石造りの門をくぐる。かつての修道院の入り口だ。出た右の石壁に小さな入り口がくり抜かれていて、"EXPO" という札がある。中は、中世の修道院の菜園を再現したような小さなハーブ園になっている。フェンネルやアニスの花には蜂がむらがっている。
ここに修道院がつくられたのは13世紀初頭のこと。修道院はLauchラウフ谷やThurトゥール谷一帯の領主であり、山地を出たところにGuebwiller ギュープビラーやSt. Amarin 聖アマーリンの城塞都市を建設した。上部ラインの広い範囲を支配していたのだ。農民戦争の終結後、ムアバッハは南部アルザスにおけるハプスブルク家と反宗教改革の重要な拠点となった。三十年戦争の終結した1680年以後は、一帯はフランス領となる。18世紀なかばになると修道士たちはこの山あいの修道院を捨て、Guebwillerの町に拠点を移して騎士団となる。その際、Guebwillerの聖母教会の建設に、ムアバッハの石材が流用された。その残りがムルバッハの教区協会となった。しかしそのわずか数年後に、ムアバッハの修道院はフランス革命によってその歴史を閉じる。騎士団は廃され、教会は1798年に農民たちによって略奪される。
18世紀に側廊が取り壊されたため、現在残っているのは翼廊だけである。二つの四角く高い塔。ところどころに残るロマネスクの装飾。
lions.jpg

もちろん、アルザス一帯が、20世紀前半にはドイツとフランスの間の争奪の対象となったことも忘れてはならない。
ムアバッハからサン・バルナベにはさらに15分ほど下る。サン・バルナベに着く直前、道の左側には、ミント系の草が二種類自生していて、ここにも蜂たちが集まっている。なお、この谷の道路脇にはイラクサも多いから注意のこと。
minz.jpg

ユーデンフートのコルでの大休止のあと、泉の前の道を進む(赤白赤のマーク。Ferme du Ballon, Grand-Ballon へという標識)。
wegweiser.jpg
すぐに二手に分かれるので、右の登り道をとる。ここからはBelchenwald と呼ばれる、ユーデンフートの南からグランバロンの東の山腹にあたる森林の中をひたすら登っていく。ユーデンフートのコルから30分ほどで左に Ferme du Ballon、つまりバロン小屋に向かう道を分ける(赤い菱形のマーク)。ここではそのまま赤白赤のマークの道を辿る。やがて休止中のスキーリフトの下をくぐる。道はリフトの下をすぐに再びくぐって、右方に向かう。巨大なブナの樹林の中をまっすぐ進み(このブナ林の中の空気は特に柔らかく感じられて、気持ちがいい)、やがて左に折れて一息で、グラン・バロン直下の広場の、セルフサービスの食堂の脇に出る(1343m)。ユーデンフートのコルから約45分。ここには Route des Crêtes と呼ばれる車道が通っており、駐車場には何台もの車が停まっている。高齢者をいっぱいに乗せた観光バスまで来ていた。実際、多くの人はここまで車でやってきて、グラン・バロンの頂上までの一登りを歩き、眺望を楽しんで帰るのだ。広場の道を挟んだ反対側には、年中無休のホテル (Hôtel du Grand Ballon) があり、その脇には子供用のボブスレー遊びのコースがある(樋状のコースをプラスティックの橇で走る)。ここのセルフの食堂、山の上の食堂なのに品揃えはさすがにフランスと言うべきか。トレーを取ってカウンターに並び、主菜とコーヒーなどは店の係に出してもらうが、前菜とデザートは回転する台に載ったものを自分で取る。前菜はメロンと生ハムの盛り合わせなど。デザートはフルーツのタルト、レモンのタルトなど豊富。ここには土産物屋も併設されている。
食堂から車道を渡って、ホテルの左手からグラン・バロンの山頂に向かう(約15分)。
gb.jpg

ちょっとザレて歩きにくい道だ。グラン・バロンの頂(1424m)は、大きな草地の円頂で、グラン・バロン(=大きなボール)の名はそこから来ている。(土産物屋には、女性のバストやヒップを大写しにして、「ヴォージュのバロン」と書いたおふざけの観光絵はがきも売っている。)ヤナギランのような花が目に付く。
fl.jpg

山頂付近には、青い悪魔の記念碑と呼ばれる巨大なケルンのような塔と、気象関係のレーダードームがある。ドームの基部は展望台になっていて、四方の眺望を説明するプレートが取り付けられている。実際、この眺望こそがグランバロンの売りであって、直下まで車で来る人々も、それを目当てに来ているわけだ。周囲のヴォージュの山並みはもちろん、西は遠くパリ盆地まで見渡すことができるし、東は、ライン川を挟んだ(川の向こうはドイツである)シュヴァルツヴァルトの山並み、天候に恵まれれば(特に秋から冬にかけては)スイスアルプスまでよく見えるという。残念ながら、今回は、朝は晴れていたものの、途中から時折小雨が降るような天候になってしまい、そこまでの眺望は得られなかった。
dom.jpg

山頂からホテルのある広場に戻って、セルフの食堂(「アルプスの眺望」という名である)の左手から、今回の下山路に入る。西側に下って行く車道が最初に大きくカーブするところで、"Ferme Augerge Roedelen, Gustiberg" の標識に従い、車道を離れ、真北の山道に入っていく。この道も赤白赤の四角い印。灌木の間の明るい道をまっすぐ下ると、林道にぶつかる。ここに避難小屋が記されている地図もあるが、それらしいものは見当たらない。この林道を20メートルぐらい右にたどると、左に牧柵を通って入る山道がある。やがて開けた牧草地に出ると、すぐ下に Alm Roedelen レーデレン・アルムの有人の山小屋が見える。牧柵を開けて斜めに下り、小屋の前に出る。セルフの食堂から約30分。ここでも食事を出してもらうことができる。今回、このあたりには馬と牛と羊が揃っていた。
tiere.jpg

さらに牧草地の中を北に進む。途中、右に Lieserwasen に直接下る道を分けると、樹林の中の急下降になる。やがて周りが再び開け、牧草地の中に広葉樹が点在する気持ちのよい道になるとまもなく、グスティベルクの山小屋 (Ferme Auberge Gustiberg)。Roedelen から約15分。ここも食事を出してくれる。小屋の前の席では、グランバロンから下ってきた人々や、Lac du Ballon の湖から歩いてきた人々が、ビールやワインを飲みながらにぎやかに食事をしている。彼らはほんとうにアルコールに強い。こちらは飲めば歩けなくなってしまうから、ぐっと我慢してコーヒーを注文する。早めに行動することができれば、車で登って来た客も群がるグランバロン直下のセルフの食堂よりは、ここで昼食にするのがいいかもしれない。
pferd.jpg

ここから30分ほどは、東に向かって坦々とした林道歩き。今度の印は青い十字。Lieserwasen へという道標に従う。途中、二三の道が分かれるが、ほぼ一貫して水平に山腹を進んでいく道だ。ところどころで北側の眺望が開け、小バロン方面の山並みが見渡せる。最後に、Schutzle シュッツレに下る道を左に分け、右に、登り坂になる。この坂を5分も登って、作業小屋のようなものが見え、左手がやや明るく開けたところに来たら、そこが Lieserwasen リーサーワーゼン。ここから赤白赤の道標に従い、左に少し下ると、別の林道にぶつかる。そのまま林道を横断して、正面の樹林に入る。ずいぶん適当に伐採されているように見える樹林の中を少しずつ右に向かいながら降りていくと、先ほどの林道と再び交差し、樹林の山腹を斜めにまっすぐ急降下していくようになる。やがて右下からの林道を合わせると、まもなく Col de Wolfsgrube ヴォルフスグルーベのコルに着く。Lieserwasen から30分ほど。ここも七叉路ぐらいの結節点。テーブルとベンチ、避難小屋のほかに、水場もあるが、今回ここの水は涸れていた。ここから辿るべきは、出てきた道の、水場を挟んですぐ右下を下っていく林道状の道だ。ここから再び日の丸のマークに従う。Murbach へという道標もはっきりしている。やがて牧草地沿いに右下に降りる道に入ると、二三軒の家のあるところでBelchenthal ベルヘン谷の舗装道路に出る。あとはこの道を下っていくだけだ。

フランス東部、ドイツとの国境にも近いル・グラン・バロン (Web 上の案内はたとえばここ) は1424mで、上部ライン地方の西に隆起するヴォージュ山脈の最高峰。樹林と牧草地に取り巻かれた草地の円頂で眺望にすぐれ、地形にとくにアルペン的なものはないが、気候条件から高山植物は豊富で、また夏場、牛や馬の放牧された牧草地も数多くあり、ヨーロッパの山の一パターンが味わえる。コースは長め(19km、5時間半)だが、特に困難な箇所はない。道標や山小屋も整備されていて、積雪期やよほどの天候でなければ安心して歩ける。食事は山小屋などで摂れるので、補給用の水分と非常食のほかはあまり持参しなくても済む。雨具のほか、夏場でも上の方では天候によってそれなりに冷え込むので、その用意さえあればよい。登山地図は、フランスの Instititut Geographicque National が出している2万5千分の一の、3719OTという番号のもの(8.99ユーロ)。周辺の観光案内所や書店で容易に手に入る。

st_barnabe.jpgこの写真だけ、ホテルのページから拝借。
2003年8月、Murbach ムアバッハの村から少し下ったところの Hostellerie St. Barnabé オテルリー・サン・バルナベに宿泊 (378m)。山あいの家族経営の小さな ホテルだが、立派なレストランを持つ。8月20日朝、宿の前のミニゴルフ施設の脇から始まる林道を登っていく。このあたりの山には、コースごとに、決まったマークが付けられていて、登山地図にも同じマークが記されている。この道は赤丸。長方形の白いプレートの上に描かれているので、まるで日の丸だ。道の脇には、ところどころ、ブラックベリーの茂みがあるので、摘みながら歩く。黒くつややかに熟した実は、ときにものすごく甘くなっていて、そういうものに当たるとうれしい。
brombeer.jpg

まもなく林道が左にカーブするところで、右に入る道標がある。大きく蛇行する林道に対するショートカットになっている。もう一度林道に出て、少し先でまた登山道に入る。樹林の中をほとんどまっすぐに登っていく。もう一度林道を横断すると、大きくジグザグに登っていくようになる。右に Murbach からの道を合わせると、Munsteraeckerle ムンスターエッカーレの鞍部 (655m) に着く。ここまで 約45分。このあたりの山の、こういう鞍部では、たいてい何本もの道が合している。ここには休憩用のテーブルとベンチがあり、その近くにもブラックベリーの大きな茂みがある。少し東の方へ行くと、北面の展望がよく、Le Petit Ballon ル・プチ・バロン(小バロン)などが望まれる。
p8190001.jpg

ここから西に向かって、Ebeneck エーベネック山の山腹を巻くようにして次の峠、Col de Judenhut ユーデンフートのコルに向かうのだが、Ebeneck の北側を通る道(Rocher de Waldeck という標識) と、南側を通る道(Ebeneck)がある。南の道を行く。南面の山腹を西に向かう林道をほんの少し行くと、右に入る山道がある。今度のコースの目印は赤白赤のオーストリア国旗のようなマーク。
marke.jpg

樹林の中の少しきつい登りが、ほの暗い針葉樹林の中の道になると、やや平坦になる。広葉樹林になり、有刺鉄線の牧柵の狭いゲート(牛が通れないようになっている)を通り抜けると、牧草地の中の登り。離れたところに牛の姿が見られる。牧草地を突っ切ると、また林道を横断する。また林道に出て、あとはひたすら林道を西に向かってたどる。南面の展望がよく、またグラン・バロンの姿も見えてくる。間もなく Col de Judenhut に到着。ユーデンフートのコル (973m)。
col_de_judenhut.jpg

Munstereckerle からはちょうど1時間ほど。ユーデンフートというのは正面の山の名前だが、そこに直接向かう道はない。このコルも六叉路ぐらいになっている結節点。明るく開けたところで、正面には避難小屋といくつものテーブルとベンチ、その左下にはシュルンベルガーの泉 (Fontaine Schlumberger)と言われる冷たく水量豊富な水場がある。流れ出した水は、木の樋に溜められ、牛なども飲めるようになっている。たいていのひとはこの泉で水を詰め替えている。(つづく)

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.1

リンク

このアーカイブについて

このページには、februar 2005以降に書かれたブログ記事のうちWandernカテゴリに属しているものが含まれています。

次のアーカイブはWandern: marec 2005です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Add to Google
 iTunes Store(Japan)
Apple Store(Japan)