リュブリャーナ日記 拾遺: julij 2008アーカイブ

drzavna_meja.jpgぼくがノヴァ・ゴリツァに行ったのはいつのことだろうと思って確かめたら、たぶん最初が1994年、最後はたぶん2000年のことであったようだ。この前(2005-06年)のスロヴェニア滞在のときは行く機会がなかった。

イタリアと「ユーゴ」、古くはオーストリアとの間の係争地。第一次大戦の激戦地で、ヘミングウェイが『武器よさらば』で描いたのはここのソチャ川上流の戦闘だ。上流のトルミンには戦争博物館があって、EUの支援を受けて、展示を充実させている。

ノヴァ・ゴリツァのイタリア側はイタリア名でゴリツィア。その街外れが、国境で分断されてユーゴスラヴィア、いまのスロヴェニアのノヴァ・ゴリツァになった。1948年(?)のパリ講和条約でのことだ。ノヴァ・ゴリツァの鉄道駅前の風景は、実に奇妙なものだった。駅前から、ゴリツィアの街の中心部に向かって、目抜き通りが伸びている。が、駅のほんの鼻先で金網で仕切られ、その通りは国境の向こう側だったのだ。東京駅を降りたはいいが、丸ビルは金網の向こうという感じ、と言ったら、ちょっとずれるが、まあ、そんなものだ。

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