リュブリャーナ滞在最終日の今日、日差しは弱いものの、幸い雪も雨も降っていなかった。昼過ぎまでアパートの近くからせっせと小包を発送。昼食は burek で簡単に済ませる。午後3時、家主夫妻がやってきて、まだ払い込みが済んでいない光熱費を計算し、それをさっ引いた分の敷金を返してくれる。
今晩一晩は市内のホテルに。家主はわれわれの荷物を見て、ホテルまで運んでくれた。感謝。

城山から見下ろすプレシェレン広場
リュブリャーナ滞在最終日の今日、日差しは弱いものの、幸い雪も雨も降っていなかった。昼過ぎまでアパートの近くからせっせと小包を発送。昼食は burek で簡単に済ませる。午後3時、家主夫妻がやってきて、まだ払い込みが済んでいない光熱費を計算し、それをさっ引いた分の敷金を返してくれる。
今晩一晩は市内のホテルに。家主はわれわれの荷物を見て、ホテルまで運んでくれた。感謝。

カムニクはリュブリャーナの北東23キロ。ツーリズムの点では、現在は、街自体への関心からより、ここから先の Velika Planina やカムニク・アルプスへの拠点(あるいはたんなる通過点)としてしか意識されないのかもしれない。古い街というよりは古ぼけた街だ。それでも、丹念に見て歩けば、けっこう面白いものが見つかりそうな予感を抱かせる街だ。
「小さな城」から見る町並。
残念ながら北の山々は雲に隠れている。
カムニク(「石」の意)は、中世を通じてリュブリャーナやクランとクランスカ地域の経済的・文化的な覇を競った。何世紀もの間、トゥヒン谷 Tuhinjska dolina を通って東のコロシュカやシュタイエルスカ地方に向かう道を押さえて通商の鍵を握っていたが、この道が1600年頃南よりのトロヤーネ峠 Trojane 経由になってからはルートを外れてしまい、街は深い眠りに落ちる。19世紀末にここを終点とする鉄道がリュブリャーナから通されて、少し目を覚ましたのだが、今はまた静かにまどろんでいるように見える。
NUK と言えば、そう、機能、感触ともにママの乳首に一番近いNUK(ヌーク)の乳首なら、初めてのママでも安心です...ってそれはドイツのベビー用品メーカー。
NUK北面の入り口NUK という呼び名はどちらかというとベビー用品のほうにしっくりくるような気もするが、リュブリャーナでは国立・大学図書館のこと。Narodna in Univerzitetna Knjižnica の略称だ。
簡素な湿地の教会とは対照的にモニュメンタルなプレチニク作品が、リュブリャーナ中心部にあるこの国立・大学図書館。しかしほぼ並行して造られたこの二つの建築は、実はたいへん似通っている。
ドイツの出版社が出しているガイドブック Marco Polo シリーズは、コンパクトで使いやすい。その巻末にはつねに、"Bloß nicht!" というコラムがあって、その国/地域で「これだけはやってはいけない!」という注意事項が書かれている。国や地域によってはかなり面白いものもあるのだが、"Slowenien" スロヴェニアの巻のそれは比較的おとなしくて、二番目が「無灯火での走行」、三番目が「不十分な装備で山に入ること」、4番目が「スロヴェニアのアイデンティティを軽んじること」となっている。

無灯火で走ってはいけない、というのは少し説明が要るかもしれない。スロヴェニアでは、日中もロービームでヘッドライトを点けていなければならない。バックのときに後退灯を点けなければならないのはもちろん、追い越しの際には必ずウィンカーを使わなければならない。(もっとも、最近は日中のヘッドライトが減った気がする。法が変わったのか?)
そして一番目が「ユーゴ料理を注文すること」。
結局引っ越しには郵便を使うことにした。せっせと箱を詰めて、さあ、今日のうちに大半を持って行こうと思ったら、ひどい雪で断念。小さな郵便局が比較的近くにあるのだが、抱えて一個一個持って行こうというのだから、これでは身動きがとれない。結局引っ越し作業は週明けのぎりぎりまで持ち越しそうだ。
ボンから帰る時はヤマト運輸に依頼した。ここスロヴェニアには日本の運送業者はどうやら入っていない。日本からこちらへ輸送する海運業者はあるらしいのだが、なんと片道。というか、地球を一周しているんだそうで、こちらから日本へだとアメリカを回って行くことになってしまう。
さて、今のアパートのネット接続は今日で解約になるので、数日はこのブログも更新を休むことになるかもしれません。(←勘違い。解約は14日付けになってました。惚けてる。)
ここで、このブログでとり上げたもので、その後変わってしまったものをリストにしてみましょう。(すでにブログの中で変化自体について触れたものもありますが。)
こっちに来るときに、オーストリア航空を使ってウィーン経由で来た。日本からリュブリャーナへの直行便はないから、普通、ウィーンやフランクフルトなどから乗り継ぎになる。ヨーロッパ内の中継地からはいずれも一時間程度。
チケットは中継地の航空会社の名前で購入できるが、いわゆる共同運行便で、リュブリャーナへの実機は(たぶん)みんなスロヴェニアのアドリア航空のもの。ずいぶん前のエントリで、大昔のリュブリャーナで筑波大のS先生にお会いした話を書いた。昨秋の初め、筑波から一団の先生方がリュブリャーナに講演にいらっしゃる機会があって、そのあとB先生のお宅で開かれたパーティに僕も招いていただき、そこでS先生と実に十数年ぶりの再会を果たした。でもS先生は最初は僕のことが思い出せないようだった。

ヨーロッパのメジャーな街にはたいてい中国(ったって広い)韓国日本東南アジア諸国の食材をごっちゃに売っている怪しげな(でも便利な)「アジア食材店」があるけれども、リュブリャーナにはそれらしいものは見当たらない。もしかしたら僕が知らないだけかもしれないが。
で、日本的な食材が手に入るところとしては、いわゆる「自然食品」店がまず第一に挙げられる。ドイツで Bio-Laden というやつ。スロヴェニアでも biotrgovina。
スロヴェニアの街中や、幹線道路脇には、相当な数の巨大ポスター用スペースが設置されている。一つ一つが大きい上に、リュブリャーナ周辺だけでも大変な数にのぼるのに、あまり貼り替えているシーンに行き当たらない。それが一夜にして貼り替わっているのだから感心する。

前々から、そういう媒体でのセクシュアリティやヌードに対するスロヴェニアの閾値は低いというか、許容範囲が広いことには気づいていたが、最近そういうスペースのいたるところに掲示されている Playboy 誌(スロヴェニア語版)のポスターはなかなかのもので、ここでネタにしたいと思いながらどうとり上げようかと考えているうちに、The Glory of Carniola に先を越されてしまった。
リュブリャーナの南方に広がる湿地の真ん中に立つ聖ミハエル教会 Sv. Mihael。これもプレチニクの作品。

素人目にも、とてもユニークな教会建築。1階は司祭の住居で、建物正面の長い階段が2階の教会堂に導く。

二月末、シュコフィヤ・ローカの城にてリュブリャーナ滞在もあと10日を切ってしまった。このブログを始めたのが昨年の2月19日だったのだが、一周年もいつの間にか過ぎ、下書きのまま放置しているものも含めるとエントリは300を超えた。日本の関東地方ではようやく春一番が吹いたということだが、こちらの冬と春のせめぎあいは一進一退。
リュブリャーナからいずれも25キロ程度の距離に、三つの古い町がある。クラン、シュコフィヤ・ローカ、カムニク。三つとも旧市街は中世の面影を残し、三つともかつて交易拠点としてまた手工業の町として栄え、三つとも近代に鉄道が通され、19世紀から20世紀に工業都市として発展した。

2月半ば、クランの町にでかけた。
プレシェレンは晩年、と言っても40代だが、クランの町でようやく弁護士として開業して生活していた。たった3年たらずで亡くなる。当時彼が住んでいた家が、よくあるように、記念館として公開されている。
入ってみると、小学生の団体が2グループほどいて、ガイドの説明を聞いていた。他には客はいなかった。

プトゥイのクレントを見て、グラーツから帰った翌日、2月25日土曜日が、リュブリャーナのカーニヴァルだった。
半月ほど前から、デパートでもスーパーでも199トラルショップでも文房具屋(!)でも、やたらに変身グッズ、仮装グッズが売られていて、ここのカーニヴァルはどういうことになるのだろうかと思っていたら、「本番」はこの土曜だった。その少し前から、街には仮装してふらふら歩いている子供や親子連れを見かけるようになった。
ながらく自前の国家を持たなかったゆえに言語こそがアイデンティティの拠り所であったとされるスロヴェニアは、しかしもちろん、デザイン言語においても独自のものを持っている。プレチニクの建築言語も独特だけれど、民衆レベルではたとえばこれ。

これは観光客相手の土産物屋で売っているテーブルクロス/飾り布/ハンカチ。あちこちで見かけるが、これはプトゥイで購入。

リュブリャーナの街の南寄り、トルノヴォ Tornovo 地区に、プレチニクが住んでいた家があって、現在そこはプレチニク記念館になっている。街の中心部から歩いて行ける。火水木の10時〜14時と、16〜18時、土曜の10時〜14時のみ開館。ガイド付きツアーでのみ見て回ることができる。学生500トラル、一般1,000トラル。
2月の半ば、このプレチニク記念館に出かけた。

プトゥイのクレントたちを見てすぐ、19:03の InterCity246 で Pragersko 乗り換え (19:17-19:35)、IC502 で 19:52 マリボル帰着。クレントヴァニェで混み合うことも予想して、プトゥイ泊にしなかったのだが、平日のこの日は、案に相違して人出も決して多くなく、イベント自体、地元の人たちのお祭りというなごやかな雰囲気だった。たぶん、週末や、カーニヴァル本番の火曜あたりは、かなりの人が集まるのだろう。
翌23日木曜、10:20 の列車で国境を越え、まだ行ったことのなかったグラーツ(オーストリア)に向かった。グラーツまでは一時間ほど。例のヴィザ問題を抱えているので、オーストリア側の官吏に、入国スタンプを捺してくれとわざわざ頼む。言わないと、何も捺さずにパスポートを返してくることがある。
グラーツの宿は決めていなかった。

写真はリュブリャーナのアパートのわが「家庭菜園」。たった半年だから、大々的に栽培するわけにもいかない。だからこれだけ。タイム (timijan)、セージ(žajbelj)、ローズマリー(rožmarin)。いずれも、ここに住みはじめた頃に、青空市場でポット苗を買ってきたもの。ずいぶんわが家の食生活に役立ってくれた。あとチャイブ (drobnjak) もあったのだが、さすがにそれは寒くなってきた頃早々に枯れてしまった。シソの種も持参して蒔いたが、かつて春からボンに住んだ時は大きく育ったけれど、こちらの秋になってからでは一向に発芽しなかった。
ところで、この家庭菜園(というか単なる植木鉢だが)にはないし、料理にもそれほど使うものではないけれど、マージョラム (majaron) も好きなハーブの一つ。その香りのワインの話。
「スロヴェニア用語の基礎知識」人名編で詩人プレシェレンに次いで出てくるべきは、建築家・都市計画者、ヨージェ・プレチニク Jože Plečnik (1872-1957)。リュブリャーナに来れば、まず間違いなく建築家プレチニクの名を耳にするし、その作品を目にしないことなどありえない。「プレチニクのリュブリャーナ」というのはすでに出来上がった一つの概念だ。

(出所)
プレシェレン広場の三本橋はいやでも目につく。そしてそこから始まる市場のアーケード。三本橋より少し上流の靴屋橋。国立・大学図書館。ジャーレの大墓地の門やいくつかの建築、僧院を改造した野外劇場のクリジャンケ。
リュブリャーナのいい店は、商店にしても飲食店にしても、建物に囲まれた内庭など、目につかない、知る人ぞ知るという場所に隠れているという印象がある。チョプ通りから引っ込んだパン屋しかり。前に触れたレストラン、As もしかり。そして、レストランも併設するワイン専門店 Vinoteka も。
