Ingo Siegner "Der kleine Drache Kokosnuss"
自分の名誉のために弁解しておくと(名誉と弁解とは相容れるのだろうか?)、もちろんドイツ語の絵本の読み聞かせなら、ずっと楽だ。ココナッツというかわいいドラゴンと相棒のヤマアラシ、マチルダの冒険を描いたこの絵本は、台本なしのアドリブ翻訳で読み聞かせた。
Ingo Siegner "Der kleine Drache Kokosnuss"
自分の名誉のために弁解しておくと(名誉と弁解とは相容れるのだろうか?)、もちろんドイツ語の絵本の読み聞かせなら、ずっと楽だ。ココナッツというかわいいドラゴンと相棒のヤマアラシ、マチルダの冒険を描いたこの絵本は、台本なしのアドリブ翻訳で読み聞かせた。
先日、「ケケッツとベダネッツ」の絵本を日本語にした。自分の子供に読み聞かせるためのまったくの「私家版」。まさに辞書と首っ引き。こんなページ数も語数もたかが知れている絵本で、丸二日悪戦苦闘してしまったのだから嫌になる。
子供は、就寝前に親のどちらかに「えほん」を読んでもらうことが習慣になってしまっている。日本から持参したもの、送ってもらったもの、リュブリャーナ在住の日本人の家庭からお借りしたものなど日本語の本もあるのだが、さすがにそれだけではネタ切れになる。それに、スロヴェニアにいるからにはスロヴェニアの話に接した方がいい。それでこんな翻訳。

スロヴェニア人は、自分たちの国の名前Slovenija、英語名Sloveniaにはloveが入っているんだ、という下らない地口が大好きです。なんでそこだけ英語なのよ? リュブリャーナ Ljubljana は「愛」 ljubezen に繋がっているんだ、という方が、これも語源的にはウソのようですが、まだマシかもしれない。
もっとも、スloveニアという駄洒落は、他の国名、地域名と混同されがちななかで、スロヴェニアの国名を認識してもらうための方便として有効かもしれないし、それを意識して使われているのかもしれません。
夏には何度も訪れているボヒン。冬は今回が初めてです。ブレットからバスで30分、ボヒンスカ・ビストリツァに着いたのはすでに3時頃。この日はスキーは諦め、橇遊びをすることに。簡易橇というか尻滑り用の道具はリュブリャーナのBTCの店で一つ400トラル(235円)ほどで購入したものを持参していました。こんなの。

取っ手を握ってまたがって座ります。ドイツ製。体重50キロまでとなっていますが、ややオーバーの僕でも大丈夫でした。しかし宿でもちゃんとした橇を無料で貸してくれました。こんなの。


スロヴェニアはウィンタースポーツの国でもあります。日本で、スロヴェニア製とは知らずに Elan ブランドのスキーを使っている人も多いはず。子供たちは、小学校、幼稚園それぞれでスケート教室があり、そこそこ滑れるようになって楽しんでいます。そしてスキー。僕自身はスケートもスキーも苦手なのですが、冬のスロヴェニアにいるからには連れて行かねばということで出かけました。
ブレットならリュブリャーナからバスで1時間半程度。そう遠くないから、この土曜、日帰りのつもりで出発。リュブリャーナからブレット、ボヒン方面へのバスは毎正時発。...のはずが、予定した朝9時にだけなくて、10時のバスまで待つ羽目に。あいかわらず下調べもいい加減な行き当たりばったりの我々。この後も、このいい加減さがひびきました。

Kdor pije alkohol, se čuti glavobol
Kdor pije šlivović, se čuti bledolic
Kdor hoče biti mlad, ta pije sam' muškat
Kdor noče bit' bolan, ta pije sam' teran
Kdor hoče biti mož, ta pije sam' refošk

日本の桃太郎、金太郎みたいに、という喩えが厳密に言って正しいかどうか分かりませんが、スロヴェニアにも、「国民的」に共有されている説話がいくつもあります。その一つが Kekec ケケッツくんのお話。
上の画像は、ボヒンのスーパーで購入した神経衰弱ゲーム用のカードですが、麗しきヴィダさんや、マティアシュ王などなど、そういった説話の主人公を絵柄として揃えています。ここでジョーカーでかつ箱のタイトルにもなっているのがケケッツ。
Routledge の "Colloquial..." シリーズがそうなのだが、折角の音声CDのそれぞれのトラックの前後に、よけいなナレーションが入っていたりする。"Colloquial Slovene" で言えば、肝心なスロヴェニア語の前後に英語で解説や状況説明や単純な質問が入っていたりするのだ。英語以外の言語を学びながら英語も聴くのも少しはいいかもしれないけれど、繰り返し聴くにはこれはかなり邪魔になる。日本で出されている教材で、同様に日本語で余計なナレーションが入っているものも多い。たいていは奇妙に甲高い声のおねいさんに、おそらくはそれなりのギャラを払って、なぜわざわざ余計なものを付け加えるのだろう?(前に紹介した ASSIMIL シリーズのいいところの一つは、こういう余計なものがいっさいないことだ。)
そういう不要部分をカットするには、MP3 Trimmer のようなソフトで不要部分を消してしまうのも手だが、iTunes を使っている場合は、もっと簡単な方法がある。
たった半年のスロヴェニア滞在だから、アンテナをいっぱいに広げて(そう言えばこれは昔僕がまだ東京でくすぶっていたとき、ドイツへ行ってしまったMの表現だった)、いろいろなものを掴まえなくてはとつねづね思ってはいるのだけれど、旅行者としてではなく生活者としてあるということは日々の雑事の積み重ねになるわけで、これはこれで、ついつい色々なものを逃してしまう。特に逃してシマッたと思うのは年中行事の類い。一度逃したら来年までさようならで、3月には日本に戻らなければならないこちらとしては、改めてそこに来合わせるのは不可能に近い。

三本橋からリュブリャーニツァ川の右岸下流沿いには、回廊状の建築があって、これも(もちろん)プレチニクの手になるもので、青空市場まで続いています。市場の戸外の屋台が野菜や果物、花、衣類などを扱うのに対して、ここの中の店はパンや乳製品や肉。そしてこの回廊の地下、と言ってもリュブリャーニツァ川の土手に当たるので、川に面した窓があるスペースですが、そこに一群の魚屋が入っています。そしてこの地階の、三本橋に近い一角は、魚料理の簡素な食堂。昼時はいつもかなりの人が入っています。
ウチから市場へは近い。今日は我が家は午前から昼過ぎまで断水で、しかも隣の部屋ではガーガー壁にドリルの音を響かせながら浴室の改修工事をやっている。それで、昼食に、この食堂にでかけてみました。

「スロヴェニア用語の基礎知識」の筆頭に挙げられるべきはこの詩人の名前でしょう。フランツェ・プレシェレン France Prešeren (1800-1849)。弁護士にして薄幸の抒情詩人。ブレット湖に近い村ウルバに農民の息子として生まれながら、ウィーンで法学を学び、学位を取るまでにいたったものの、弁護士として成功できたわけではありませんでした。ハプスブルクの支配下で、当然スロヴェニア人は不利な地位に置かれていたことでしょう。長い間下働きに甘んじなければならず、自身の小さな事務所をクランの町に開く許可が得られたのは46歳のときでした。コネというものを持たなかったからでもありますが、メッテルニヒ政権のもとで、左派のナショナリスティックな反政府的人物として睨まれてもいました。ウィーンの政府を嘲笑し批判する雑誌に寄稿していたプレシェレンには、存命中の成功はあり得なかったのでした。(なんかよく聞く話のような気もしますが、19世紀にあって、そういう本人にとっては、実際容易な人生ではなかったことでしょう。)

ほとんど太陽を見ることのなかったリュブリャーナの冬、昨日今日は快晴になり、そのぶんぐっと冷え込みました。先般積もった雪の大部分はすでに溶けていますが、今朝は霜がおりていて、家々の屋根も、車も、道路も、まるで雪でも降ったかのようにあらゆるものが白くなっていました。昼前には、アイスダストも見られました。(何やらのゲームのアイテムではありません。)空中の水分が低温で凍って小さな霧状の粒になり、日の光の中でキラキラと光りながら飛んでいます。
さて、タイトルの「ドマーチ」とは「家」dom から派生した形容詞で、「ホームメイドの」といった意味。語尾は場合によって多少変化します。スロヴェニア語の参考書、Teach Yourself Slovene (現在は品切れ?)で、Andrea Albretti は、この domač という単語が、スロヴェニアの家庭に招かれたときには必須になると書いています。
ウチのアパートの真ん前に、ギムナジウム、つまり高校があります。早起きのスロヴェニアらしく、朝はずいぶん早く、まだ暗いうちから多くの学生が登校してきて、教室の明かりが灯る。(現在の日の出は7時40分ごろ。)正月休みの短いヨーロッパのことで、1月もすでに3日から。で、この高校、ヨーロッパのほとんどの学校と同様、街中の普通の建物の一つであって、校庭と呼べるものがほとんどありません。それでどうなるかというと…
久々にワインネタ。リュブリャーナでただ飲んだくれてばかりいるのではないかと思われるのも癪なので(大方事実と言えば事実ですが)控えていたのですが、前々から試したいと思っていたワインが手に入ったもので。

スロヴェニアのワインで、ゼレン zelen という名の品種から作られるワインがあります。zelen とは「緑」という単語。プリモルエ(海岸)地区、ほとんど特にそのヴィパーヴァ地方でのみ作られている地域固有種。ヴィパーヴァはカルスト台地とトルノヴォ森の山地との間に挟まれた肥沃な谷です。

一昔前のドイツだったら、店は午後6時に閉まるのが当たり前でした。土曜は午前のみ。月に一度「長い土曜日」と呼ばれる日(たいてい月の第一土曜)は午後4時まで(どこが長いんだか)。日曜は、朝、パン屋と花屋が営業しているだけで、あとはいっさい休み、という状態。閉店法 Ladenschlussgesetz という法でそういうふうに規制されていたのです。だから土曜の午前はショッピングタイム。どこのスーパーも、カートに商品を山盛りにした客で大混雑でした。コンビニなんてありません。それで、日曜日、なにかちょっとしたものが必要になった場合、どうしていたかというと、大きめの駅の売店か、ガソリンスタンドへ行きました。ガソリンスタンドの売店は、例外的に365日24時間営業が認められていて、コンビニ代わりだったのです。ビールやワインも公然と売っている。
日本からドイツに行くと、最初そのギャップにとまどったものでした。それでも、しばらく暮らしているうちに、不便さにかわりはないものの、週末の静かさを味わうことを覚えるようになる。これはこれでいい、と思ったものでした。
しかしどの店も6時が近づくと、まだ店内にいる客を追い出さんばかりに閉める準備を始め、まるで閉めている間が本番とでも言うように、入り口のガラス扉の内側にきれいに商品のディスプレイを始める店も多かった。なにやっとんじゃい、と思ったのも事実です。それに対して、大半が家計を握っている亭主が、店の開いていない、買おうにも買えない日曜の街へ奥さんを連れてウィンドウショッピングに出かけるのが習慣、というドイツ人も多かったようですから、持ちつ持たれつというかうまくできているというか。
近頃のドイツはかなり「堕落」してきて、閉店法が緩められ、夜も遅くまで(と言ってもせいぜい8時ですが)開いている店があったり、土曜日に夜まで営業している店がでてきたりしています。それでも、日曜日だけはタブー。ドイツ人は少なくともこの点でだけは、いつまでもまじめなクリスチャンであるらしい。
ではスロヴェニアはどうか。
以前にリュブリャーナ郊外のフランス系ハイパーマーケット、ルクレールのことを書きましたが、リュブリャーナでのショッピングということでまず最初に挙げられるべきは、街の北東のはずれにある一大ショッピングセンターBTC(ベーテーツェー)。

構想自体は1954年にさかのぼるようですが、かつての商品物流センター Blagovno Transportni Center (要するに倉庫)が改装され、商品販売センター Blagovno Trgovinski Center として開かれたのは1993年のことらしい。ルクレールに匹敵するハイパーマーケット Interspar (これはたぶんドイツ/オーストリア系)も、広大な敷地の中の建物の一つ、BTC-CITYの一店舗として、ここに入っています。

10月から、午前に週二回のスロヴェニア語教室に通っていた。最初の筆記と面接のレベル分けテストで中級というか真ん中のクラスに入れられた。火曜と木曜の午前10時から12時半まで。朝、子供たちを学校や幼稚園に送って一息ついたらすぐにでかけなければならないこれには、案外拘束された。
しかし家族連れでの滞在は、家で四六時中日本語を使っていることになるので、その土地の言葉を習得するには非常に不利で、せめてこの教室に通ったことはその意味でプラスだったと思う。何度か触れているけれど、僕のスロヴェニア語能力はもともとほんとにたいしたものではなかった。
仕事では、いや、このブログのネタ探しでも、ドイツ語や英語ばかり読んでいた。いや、スロヴェニア語がもっとできればスロヴェニア語ももっと読んだのだろうけれど、たいして読めないからいきおいドイツ語や英語に逃げることになる。

今頃、という感じだけれども、リュブリャーナのクリスマスの市のことをまだ書いていなかった。準備が始まったのが12月に入ってからだったと思う。三本橋を中心として、橋から南のリュブリャニツァ川右岸のツァンカル河岸 Cankarjevo nabrežje と、青空市場の三本橋寄りの一角、Pogačarjev trgに屋台が並び、そして三本橋のプレシェレン広場側に食べ物や飲み物の店が少々。
これが、あんまり「クリスマスの」市ではない。典型的な(というか、僕らが勝手に典型だと思い込んでいる)ドイツあたりのものと比べてということだが。