Musikの最近のブログ記事

handgelenk.gifヴァイオリン(ヴィオラ)の左手首は下腕からほぼまっすぐで、手首が楽器本体よりに曲がってしまってはいけないことになっている。

これは、初心者がもっとも陥りやすい「悪いクセ」の一つ(僕もかつてこれを直すのに苦労した)。これだと左手のフレームががたがたになって、音程がなくなる。ヴァイオリンを習い始めた人は、多くの場合、第一ポジションの次に第三ポジションを学ぶのだけれど、そのときにこのクセが付きやすいから気をつける必要がある。(第三ポジションの前に第四ポジションを、それによってポジション移動を教えたらいいのではないかと思う。第四ポジションだと、楽器のボディにぶつかるので、手首が曲がる余地はない。)

しかしまた、基本はあくまでもその通りだとしても、手首は絶対にこのように曲がってはならない、というのもまたウソではないだろうか。三度の和音を押さえるときは、第三指、第四指が低い弦に置かれる。ほかのたいていのパタンと違って、三度のときは、例外的に、手の小さめな人であればことさら、この「誤り」とされる形に近い形を意識してとる必要があるのではないだろうか。むしろそのことによって三度音程は安定するのではないだろうか。

(図は、Annemarie Jochum "Geige spielen. Ein Ratgeber fuer Liebhaber" Baerenreiter, 1994 ISBN: 3-7618-1142-X から。)



    
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前のエントリで書いたように、大学の初心者集団のアンサンブルを、ときどき診ている。今年は珍しく「経験者」の新入生が多くて、いろいろと面白い新たな「経験」をさせてもらっている。ヴァイオリンの「経験者」で、いまレッスンでメンデルスゾーンの協奏曲をみてもらっています、という学生(月末にこの曲で「コンクール」に出るそうだ)がいて、先日、その演奏を見せて/聴かせてもらった。そのときに言ったこと。

    
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Bowmaster

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bowmasterヴァイオリン初心者が弓の「持ち方」を安定させるためのアクセサリ。Super-Sensitive Music Instrument Companyという、なんだかなーという名前の会社の製品。フルフルさんのところで教えていただいて、購入してみた。Amazon.com に出ていたので、他の本を注文するついでに買えば送料の点でも有利かなと思ったが、実体は、amazon.com に間借りしているだけの別の小売店で別会計。本と一緒に送ってもらうことはできなかった。品物は6.95ドル。送料が22.50ドル。送られてきた大きな箱のいっぱいの詰め物の中に、ころっと入っていた。(昔のコーンフレークのおまけを思い出す。)

ぼく自身が使うためではない。大学の「宗教センター」で活動している音楽団体の、初心者の学生を「診る」ことがある。たいていは合奏の指導をしているのだが、個人レッスンみたいなこともやる。で、その中でも弓の持ち方を教えるのはとても難しい。それで、彼らに感じをつかんでもらうためのきっかけや補助になるだろうか、と思ってポケットマネー(って死語か?)で入手した。

言うまでもないことかもしれないが、自分ができるということと教えられるということはまったくもってイコールではない。

    
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メトロノームと呼ばれることになるものをオランダのウィンケルが発明したのが1812年、それを改良して拍・韻律とノモスを合した名称でメルツェルが特許を取ったのが1816年。この本質的になんとも単純な機械仕掛けで均等なパルスを発する器械が、その後の音楽を呪縛することになる。(それはヨーロッパの外、たとえばアメリカや日本でとりわけ著しい影響力を揮うことになる。)

巨人の星ちょうど実用化されたメルツェルのメトロノームに、ベートーヴェンははしゃぎ、自分の作品にメトロノーム速度を書き入れる。しかしその表記はのちのち論議の的ともなった。ベートーヴェンがメトロノームに感動したのは、あくまでも意図したテンポを伝える手段としてであり、メトロノームに「合わせて」演奏などするものではないということも、彼ははっきりと書いている。

"Gar kein Metronom! Wer richtiges Gefühl hat, der braucht ihn nicht, und wer das nicht hat, dem nützt er doch nichts..." 「メトロノームは無しだ! ちゃんとした感覚のある奴なら、メトロノームは必要ない。感覚の無い奴なら、使っても意味がない。」 (Rostal and Ludwig, 1991, Ludwig van Beethoven: Die Sonaten für Klavier und Violine. ) Sylvio Krause, Das Probespiel Violine, Friedrich Hofmeister Verlag, 2001, S. 7 からの孫引き。

さて、メトロノームとは何の役に立つのだろう? どう役立てるべきものだろう?

  • もちろんおおよそのテンポを知るには役立つ。
  • テクニカルな練習曲で、難易によって途中で無意識にテンポが変わってしまわないようにチェックするため、アドホックにちょっと使う、というのもアリだろう。
しかしそうした範囲をはるかに越えて、「メトロノーム練習」が行われている。それにしても、なぜにこれほど無反省に、惰性的に、「メトロノームに合わせる練習」が行われているのだろう?


それはちょうど、ウサギ跳びにとてもよく似ている。歯を食いしばって苦行に耐えることで、何か功徳を積んでいるかのような感覚に浸れるのだろう。文字通り「機械的」な、音楽とは無縁の作業でしかないのに。ウサギ跳びがスポーツや体力作りとは実は無関係で、むしろ害になるのと、実によく似ている。

    
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billiard.jpgじつはビリヤードが好き。先日学生たちと行ったコンパの二次会の店に台が一つあって、久しぶりにキューを手にした。決して上手いわけではないけれど、一頃はずいぶん夢中になってやっていたから、それなりのワザもできた。でも長年ごぶさたしていて、すっかり忘れている。

ビリヤードでよく遊んだのは、大昔、ドイツのボンにいたとき。街中の各所にあるゲームセンター Spielhalle のほとんどに置いてあって、比較的安く遊べたし、店によってはコーヒーがタダで飲み放題だったりした。1マルクか2マルク(大昔だからユーロではなくてマルク)のコインを入れると1ゲームできるものもあったし、カウンターで料金を払うところもあった。日本はバブルの最盛期だったから、1マルクがたしか70円を切っていた。

    
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mozart.jpgDie Zeit 紙が伝えているところによれば、ポーランドの修道院でモーツァルトの総譜手稿18点が発見され、そのうちの3曲はケッヘルのカタログにも収録されていない未知の作品だという。もし本当にモーツァルトのものだとすれば、晩年のウィーン時代のものだとか。

AFP による記事は、いったいどういう編成のどういう曲なのか、一切伝えていない。うーむ。

    
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metronome.jpg19世紀の中途半端なテクノロジーがクラシックを破壊してきた、いまも破壊し続けていると、最近はほぼ確信するに到っている。メトロノーム(19世紀初頭の発明)と平均率ピアノ(最初の生産は1840年頃)のことだ。

音律の問題つまり平均率が問題であることに関しては、「古楽」系の人たちをはじめとして色々言われるようになって、近頃は一般の認識もかなり変わってきた。今のテクノロジーによれば、キーボードであっても、自在に音律を変えて演奏することもできる。たとえば、Mac 用の SuperPiano X は、そうしたテクノロジーの感嘆すべき成果だ。(安価な点でも感嘆すべきだ。)それでもいまだに平均率を前提した「絶対音感」など云々し続けている阿呆もいるが。

問題は拍節のほうだ。つまり、いまだに、というかますます多くの人々が、メトロノーム的な均等拍が拍だと思い込まされていることだ。

    
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カザルスは言っている。



「抑揚は良心の問題です。生活のなかで何か悪いことをしたと気づくと同じように、ある音がよくないと気づくものなのです。悪いことはほうっておいてはいけません」(ウェッバー編『パブロ・カザルス 鳥の歌』ちくま文庫、168ページ)

池田香代子氏がここで「抑揚」と訳しているのは、イントネーションのことだ。

intonation.jpg弦楽器のイントネーションのことは、早くからヘマンの本(『弦楽器のイントネーション』竹内ふみ子訳)の翻訳が出されて、比較的知られてはいるが、個々のアンサンブルのケースで具体的にどのようなことがあるのか、あまり詳しい説明はなかなか僕らの視野には入ってこない。

近ごろSchott 社から精力的に弦楽器関連のマニュアル本を出しているゲルハルト・マンテルが、弦楽器のイントネーションに関しても一冊書いている。
Intonation. Gestaltungsspielräume für Streicher

    
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suzuki.jpgヴィオラを一から始める人のための教則本で、初級から中・上級まで系統立ったコースになっているものは、現時点では、スズキ・メソッドの全八巻のこれがほとんど唯一ではないかと思われます。スズキのヴァイオリン教本をヴィオラ用にアレンジして、アメリカで制作されているもので、スズキの本家の日本国内では出版されていません。ヴァイオリン教本と重なる曲が多いですが、ヴィオラ独自の曲も加え、よく出来ていると言えます。

楽譜専門店などでも手に入りますが、国内で購入する場合は、おそらくアマゾンが一番安い。ところが、残念なことに、日本のアマゾンの商品表示は不親切で、どれが何巻なのかが分からなくて往生します(表紙の画像がある場合は、そこに書かれた Volume 1 などの文字で見分けがつきますが、画像がない場合も多い)。そこで、ご参考のため、日本のアマゾンの各巻へのリンクを以下に並べておきます。(実はここでISBNを調べてアフィリエイトリンクを張っただけ。)

Suzuki Viola School: Viola Part, Volume 1
Suzuki Viola School: Viola Part, Volume 2
Suzuki Viola School: Viola Part, Volume 3
Suzuki Viola School: Viola Part, Volume 4
Suzuki Viola School: Viola Part, Volume 5
Suzuki Viola School: Viola Part, Volume 6
Suzuki Viola School: Viola Part, Volume 7
Suzuki Viola School: Viola Part, Volume 8

なお、収録曲などは、出版元 Alfred Publishing が出している Suzuki 教本の PDF カタログをご参照ください。

    
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甲野善紀氏の本数冊(荻野アンナ・甲野善紀『古武術で毎日がラクラク!―疲れない、ケガしない「体の使い方」』なんてのも含めて)に続いて、『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』 (光文社新書)を読む。甲野式の動きを取り入れて成果を挙げているスポーツ界の話をスポーツライターの織田淳太郎がまとめた本だ。

ひとまず目に付いたのはこんなポイントだ:

ボクシングでは、「拳を内側に捻り込むようにして打つべし」と、よく言われる。劇画『あしたのジョー』でも、丹下段平が矢吹丈にボクシングの初歩段階として教えていた。 これは、パンチの威力が増すという理由で指導されるのだが、実は拳を捻り込むことで、肩の「分離」も促されているのである。それによって、腕が瞬間的に長くなり、パンチのスピードが加速され、インパクトの衝撃がそれだけ大きくなる。さらに、捻り込むことで、上腕の筋肉線維のラインが真っ直ぐに伸び、力をよりダイレクトに拳に乗せることができるという利点もある。(43)

これはおそらくボクシングの「常識」(ぼくは知らなかったが)なのであって、ことさらに「ナンバ」ではないが、ダウンボウで弓先へ行くときの右腕の動きと一致する。その際も、手は内側に捻り込むようにして手首が下がり、肘が前に出て腕がまっすぐ伸びる。だからこのパンチの動きもよく理解できる。(この動きが「井桁崩し」とも重なり合うことは前に触れた。)

ではヴァイオリンを弾く場合の左腕はどうなのだろう?

「実は腕は肩からついているのではない。腕がついているのはさらに肉体の奥、すなわち鎖骨と胸骨の間にある胸鎖(きょうさ)関節からだ」(27)という認識は、(たとえばアレクサンダー・メソッド系の書物を通じて)以前から持っていた。だが、その意識を右腕にはある程度生かせているつもりでも、左腕のその点に関しては等閑に付してきたところがあった。

ヴァイオリニストの左腕は、つねに肘のところで曲がっており、また左手も、ネックの右側から楽器に接する以上、内側に、つまり左手のこの場合時計回りに、捻ることはありえない。(ネックに左手指を正しく置いていくためには、逆のひねりがむしろ必要で、ほんとうの初心者にはこれが案外難しいようだ。)

おそらく、上の記述に言う「肩の分離」ということが、左腕でも重要になってきそうな気がする。「肩甲骨と上腕骨の分離感覚」(30)とも言われている。「古武術では"割れる"という表現を使う」が、これは「上腕と肩を独立させて、別々に使う」ことと同義だという(40)。そもそも普通は利き腕ではないうえに、遠く伸ばすよりも折り畳んでいく動作が多くなる左腕は、この点の訓練が足りず、左肩が固まってしまっている奏者、つまり左腕のシフティング(ポジション移動)に鎖骨から肩にかけての部分が全く使えていない奏者(ぼくはたぶんそうだ)が多いのではないか。一旦楽器を置いて左腕を伸ばし、パンチングの動きを元にして左肩も柔軟にしていけば、左腕全体の動きにプラスになりそうな予感がする。

パンチや「投げる」動作は、体幹部から「投げる」感覚が重要であり、上腕と肩の「分離」感覚はそのために役立つという。そして体幹部から投げる感覚を伸ばすには肋骨を意識的に変形させるストレッチや、肩甲骨を柔軟に動かすストレッチが有効であるという。これも演奏のためにそのまま使えそうだ。

    
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謙虚ということについて考えていた。

ええっと言われるかもしれない。身近で、口の悪い人や勘違いしている人には、おまえの辞書に謙虚なんて単語載ってるのかよ、なんて言われかねない。

この言葉自体は、たしかにぼくはあまり好きではない。だがその理由は、安易に使われすぎてすり切れており、空虚な標語と化してしまう可能性が高いからだ。たんに卑屈に縮こまった姿勢を導き出す可能性もある。それがどう機能するかはポワン・ド・キャピトン、つまり状況や文脈による。

少なくともスキルや知識に関することでは、謙虚という言葉に意味があるとすれば要は、自分のまだ知らないもの、分かっていないものがそこにあるのではないかと予感する能力、そしてそれを探究していこうとする好奇心なのではないだろうか。いずれにしても、こうした定義を考えて、それを短縮する意味でしか、謙虚とか、そんな言葉は使えない。たんに謙虚さが必要だ、と口にすることには意味がない。

    
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なにしろテレビは10数年来ろくに見ていないものだから、一部そうしたメディアも上手に利用して知られてきていたらしい甲野善紀氏のこともほとんど知らなかった。

とりあえず手に取ったのが文庫本3冊。


どうもナンバ的な感覚がクラシックの拍節に真っ向から対立する・障害になるのではないかと思っていわゆるナンバ周辺のことを調べはじめ、甲野氏の本も何冊か読むことになったのだけれど、氏の「武術」の身ごなしは、そんな単純なものではまったくないのだった。むしろ、現にスポーツをはじめとしてあらゆる領域で様々な人たちによって応用が模索されているように、楽器の演奏にもそのまま当てはめて考えてみるべきことが多く、それがそれでまた僕の関心を引いている。たとえば甲野氏の身ごなしの具体的な出発点となった「井桁崩しの術理」。ヴァイオリンのボウイングなどは、この「井桁崩し」の動きそのものではないかと思う。「初心者」のボウイングは、肩を中心にした「ヒンジ運動」になる。それが、楽器、弓と組み合わさった「井桁崩し」にならなければならないのだ、と、この言葉を使えば、言える。(『身体から革命を起こす』にはまた、甲野氏のアドヴァイスを受けながら奏法を改良していったフルート奏者白川真理さんの話が出てくる。)

またたとえば、「表の体育」と「裏の体育」の相克に関する洞察は、平均律と均等拍に縛られた「表の音楽教育」の問題に重ね合わせてみることもできる。

拍節のことに話を戻すと、甲野氏の研究は(乱暴な纏めかたになるが)気配を消し、瞬発的な動作の効果を高める方向を向いているので、通常音楽に現れるような拍子や「リズム」は少なくとも表面的には出てこない。一方で、日本の、(クラシック的に見て)ダメな奏者のリズム感というのは、やはり現時点の僕にとっては、「ナンバ的」と名付けるのがしっくりくる。「よいナンバ」と「悪いナンバ」を区別するべきなのだろうか?

この問題、まだまだじっくり調べていかなければならないようだ。

    
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Gerle の左手の練習ロバート・ガールの『ヴァイオリン練習の技法』Art of Practicing the Violin: With Useful Hints for All String Players(←リンク先は日本のアマゾンですが、高価な古本しか出てこないかもしれません。その場合は米アマゾンあたりで探された方ががよいでしょう)が面白い。そこに出ていた左手の練習法の一つがこれ。
ガールはまずは左手の4本の指の位置のパターン分類から始めます。パターン1から3は、1指と4指の間が2全音半となる基本とも言うべき形で、3、4指の間が半音となるのがパターン1。ここまではどこにでもある着眼かもしれません。

で、まずはそのパターン1で、二本の弦を1指で5度把弦したまま、その高い方の弦で4指まで行って帰ってくるだけの練習。半音ずつ上がっていってはこれをやります。G線D線で始め、4、5ポジションまで行ったら隣の弦(D線A線)に移る。譜面に書くと上掲画像のようにややこしくなりますが、非常にシンプルな練習です。

これは左手のフレームを確かなものにして、正確なイントネーションを作っていくうえで、非常に効果的な練習だと思います。パターン1〜3では、4指を押さえたとき、1指とオクターブになるわけで、純正さが簡単に分かります。この練習をやってみて、4、5ポジションあたりで、自分のフレームが微妙に狂っていることがたちまちはっきり分かってびっくりしたのでした。一発で正確に取れていないのです。このあたりのポジションでの、左腕の入りこみ具合についての感覚が、ほんのちょっとズレているらしい。

こんな恐ろしく基本的なところに穴があったか、という発見(うう)。フレッシュでも小野アンナでもスケールを真面目にやっていればこんな欠点はおのずと修正されていたはずなのかもしれませんが、怠け者のぼくはそれをあまりちゃんとやってきませんでした。それに、ただのスケール練習では、この狂いは自覚しにくい。この練習をしばらく続けて治療することにしようと思います。

ガールの上掲書には、他に、ボウイング、初見、暗譜などの効果的な練習のしかたが紹介されている。まだぱらぱらとしか見ていないのだけれど、なかなかイイです。ボウイングのみに特化したThe Art of Bowing Practice: The Expressive Bow Techniqueもあります。

    
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先に引いたダルクローズの本の中で、印象に残った箇所の一つがこれ。

「だが、多くを求めて人に恐れを抱かせてはならない。そんなことをしても、何も得るところはない...。他人のために〈より良いこと〉を望む者、他人に何かを──彼らが、自分が持っていないことに気づいていない何かを──求めるべきであると気づかせることによって、彼らの平安をかき乱す者を待ち受けているのは、悲嘆と落胆である。自分のことだけ考えて、あるがままの現実に満足して幸せに生きるがいい。他の人はみんな現状に満足しているのだから...。」『リズムと音楽と教育』山本昌男訳、全音楽譜出版社、p.14(訳文の一部変更)

ありふれた話かもしれないが、これは身につまされる。フロイディアンならここで防衛機制について語るかもしれない。

ダルクローズはもちろん、こうしたペシミズムは跳ね返すべきだと言っているのだが、あまり説得力がないというか、彼の本を読んでいると、とにかくそんなペシミズムは力任せに振り切って、強引に前進していった感じだ。体力気力がないと参考にならないというか...。いや、「汝の欲望をあきらめるな」と言うではないか...。

次はジョン・ホルト『ネヴァー・トゥー・レイト 私のチェロ修業』松田りえ子訳、春秋社から:

「生徒たちが教えられたことを学ばない。その理由の大部分は、自分はできないと生徒たちが思い込んでいるからだ。」(144)

この本当に不思議な心理にはいたるところでぶつかる。『ブリキの太鼓』のオスカーではないが、「成長」することを恐れている、「成長」したくないという心理がいたるところに蔓延している。もちろん、これも、ダルクローズ的な絶望の原因の一つだ。要するに、「教える」ことの難しさ。

年配になってチェロを始めたいきさつと洞察を綴ったホルトは、もともとアメリカの教育界で活躍してきた人だった。で、こんなことも書いている。

「可能性には限界がないのだろうか? もちろん、限界はある。でも私たちが思っているよりずっと遠くにある。」(126)

その通り。でも、それを分かってもらうのが難しい。

で、こうしたダルクローズ的ペシミズムを回避して学びの実効性を上げるための技術として、昨今は一部(どちらかというと「ビジネス・経営」系)で「コーチング」がもてはやされたりしているわけだ。もちろんそこから学び得ることは多い。「コーチング」に関しては、牛が汗をかいたり棟が一杯になってしまうほど書籍が出ているし、ネット上にもいろいろ転がっているだろうから、ここでは詳述しない。ちょっと面白いのは、もともとテニスコーチで、音楽家向けに『演奏家のための「こころ」のレッスン』も書いたガルウェイの名が、「コーチング」の始祖の一人として挙がってくることだ。

    
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ダルクローズが拍節に対する憎悪をぶちまけている文章が面白い。

「リトミック」の元祖ダルクローズの著作は、つい最近初めて読んだのだけれど、その中で拍子、拍節をリズムと対立させて攻撃している部分がとても興味深い。

『リズムと音楽と教育 新版』の第13章「リズム、拍子、気質」という、1919年に書かれた文章。

ここで、ダルクローズは、明らかに拍節をメトロノーム的な均等拍として理解している。もし拍節がほんとうにそのようなものであるなら、ダルクローズの憎悪はもっともだ。ダルクローズは拍節に関する通念にのっとって、それに対する反対意見を述べているのであって、その基盤になっている通念は(今日にいたるまでごくありふれた)誤解、すべての拍は均等だという誤解だと思う。つまり、ダルクローズが否定しているのは均等拍であって、本来の(とぼくが考える)拍子、拍節ではないのだ。

「知的産物である拍子は、機械的な仕方で生命の要素とその組み合わせの連続と秩序を司るのに対して、リズムは、生命の本質的な諸原理の総合性を確立する。拍子は反省から生まれ、リズムは直観から出現する。大事なことは、リズムを作り上げている持続的な動きを拍節的に規制することが、この動きの本質や特質を損なわないことである。(226f.)

「今日、音楽教育は[...]音楽の学習をリズムの方に向かわせる代わりに、拍子の方に向かわせている。拍子だけに意を用いることに心を奪われて、入念な訓練によって、動きへの衝動の開花に有利に計らうことを怠っている。同じことが、我が国の最も著名な専門学校[アカデミー]で、もっぱら身体的テクニックのセンスがきめ細かく指導されているダンスの教育においても行われている。この教育が目指すのは、拍子的精神の勝利であって、気質の発達のおかげで、自然な身体的リズムが開花することに力をかす代わりに、身振りや動きの勝手気ままな連なりに規制を加えることで事足りているのである。(227)

ここに、「拍子/リズム」と重ね合わされている「反省/直観」「意志/気質」「規制/自発性」といった二項対立の道具立てを見て取ることはたやすいし、20世紀初頭の「生の哲学」の流行にのっていることも明らかだと言っていい。

「驚くほどよく制御されている機械は、リズムではなく、拍子で制御されているのである。(228)

「拍子の意図的な訓練は、規則正しさを確立してくれる。──この規則正しさがどうしても必要な場合もある。しかし、このように終始機械的に秩序を追い求めることは、生の自発的な発現という性格を不自然に歪める危険をはらんでいる。拍子は人間のために創られたもので、人間にとっては道具となってくれるものなのだが、この道具は、往々にして、いつの間にか人間の主人になってしまい、彼の動きのディナミズムやアゴーギクに影響を及ぼし、その人間性を因習的な仕掛け[メカニズム]の奴隷にしてしまうのである。(228)

ここでは「機械/生」という対立が前面に出てきている。拍子を「機械」的なものと考えていることがよく分かる。つまり均等拍のことなのだ。

もし今ダルクローズ先生がここにいて、ねえ、ダルクローズさん、あなたが問題にしているのは均等拍であって、本当の拍子や拍節ではないですよ、と申し上げたら、簡単に同意してもらえるだろうという気がする。

しかし、今の「リトミック」はどんなふうになっているのだろう? 二三、国内で書かれた書物を見た限りでは、この点に関する反省や修正は出てきていないように思える。拍子に関しては、あくまでも均等拍が前提されているように見えるのだ。だとすると、おそらくそれはダルクローズ先生の本当の志とは異なっている。

    
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