Herbes - Kräuter: april 2005アーカイブ

庭のないアパート暮らしだと、ついこんなものに手を出す。
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近くの「ホームセンター」で購入。紙箱をあけると、ポリ袋の中に土が入っていて、そこに直接水をやっておくと、アスパラガスが伸びてくる。パッケージ写真のような立派なのはもちろん出てこない(世話の仕方が悪かっただけ?)。鉛筆、いや、箸ほどの太さのものが数本収穫できただけ。

...いや、野生のアスパラガスだと思えばいいのだ。

1989年の春にドブロヴニク Dubrovnik (ユーゴスラヴィア。いまのクロアチア)の民宿に泊まったとき、宿のこどもと裏山に野生のアスパラガスを採りにいった。
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ボンの大学にいたときのことで、大学の哲学の先生、ヨーゼフ・ジーモンが主催するニーチェをテーマにしたセミナーが一週間、ドブロヴニクであって、それに参加した。ドブロヴニクは「アドリア海の真珠」。まわりをぐるりと取り囲む城壁とともに、古い町並みがそっくり残っている。
Dubrovnik Online, Travel Guide for Dubrovnik and Dubrovnik Region
Grad Dubrovnik - City of Dubrovnik
歴史的な参考書には、バリシァ・クレキッチ 田中 一生(訳)『中世都市ドゥブロヴニク』がある。

観光案内的・旅行記的な情報は、日本語でもすでにネット上にふんだんに見つかるはずだ。上の Dubrovnik Online には美しい写真集もある。旧市街の外には当時すでにリゾートホテルもあった。そのころはまだユーゴスラヴィア解体前。紙幣にはティトーの肖像があった。ドブロヴニクの町の外、小さな岬の上に、セミナーハウスがあって、当時のユーゴはそういうところに安い価格で国際セミナーを一生懸命誘致していたのだと推測する。

僕にとって初めての「東欧」だった。ボンから寝台列車でウィーンへ。数日いて、リュブリャーナに移動して二三泊し(これが僕にとって本当に初めてのスロヴェニアだった)、そこからまた寝台列車でアドリア海岸に出て、それからきらきら光るアドリア海岸沿いにバスでドブロヴニクまで行った。旧市街のすぐ外のバスターミナルで降りると、民宿の客引きにきているおばさんたちが何人もいた。ルーム、ルーム、ツィメル、ツィメル...。ツィメルというのはドイツ語の Zimmer のことだった。

そういうおばさんの一人につかまって、セミナーハウスにも宿泊施設があることは分かっていたのだけれど、これも面白いか、と泊まることを承知した。客引きに一生懸命だったのだろう、(本来付かない)夕食も食べさせる、とおばさんは約束した。まあ、一二泊してみて、気に入らなかったら途中で出るよ、と言ってオーケーした。僕はクロアチア語はからきしだったから、片言のドイツ語や英語の会話だったはずだ。

おばさんの家は、ドブロヴニクの旧市街からはちょっと離れたところ、バスで数分、それからさらに坂道を上ったところにあった。
男の子が二人いた。立ち入って尋ねたりはしなかったが、亭主の姿は見かけなかった。おばさんは、ちょっと疲れた、キッチンドリンカーのような気配があった。上の子は、中学二年生ぐらい。とてもしっかりしていて、習い始めたばかりの英語をけっこう上手に使いこなし、通訳の役を果たしてくれた。最初、他に客はおらず、夕食はこの家族と一緒に摂った。海辺の町、魚介類がおいしかった。料理にはたいていオリーブオイルをふんだんに使った。

時間のあいていた午後、この上の息子と裏山に野生のアスパラガスを採りにいった。石灰岩の岩がごろごろしていて、わずかに木が生え、下薮の生い茂った道らしい道もない斜面に入っていって、探す。アスパラはやはり細いもので、ひょろひょうろと一本ずつ伸びている。子供は薮の中に次々に見つけて摘んでいく。そのうち僕も慣れてきて、見つけられるようになった。「この人すごいよ、すぐに見分けられるようになったよ」と、帰ってから、子供は母親に報告していた。これもオリーブオイルで炒めて、みんなで食べた。(たぶん続く)

Shim-K さんの「菜の花のおひたし」に反応して:

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そろそろ時季は終わりだけれど、ナズナの花のおひたしが美味い。白い花穂の部分だけを摘んで、茹でるというよりさっと湯がいて、芥子醤油で和える。菜の花をずっと柔らかくしたような味わい。ナズナというかぺんぺん草の花を摘んでいる人など他に見たことがないから、案外知られていないのではないか。
もちろん、七草の一つなのだから、根元の方からまるごと茹でてもいいのだが、花のところだけをさっと湯に通すのが、またいいのだ。

これは、この本に教わった。

野草の料理
甘糟 幸子


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現在はこの単行本でしか手に入らないようだが、手元にあるのは1981年の中公文庫版。扉に著者から僕の母あての献辞が1983年8月という日付とともに書かれている。著者には僕は面識はないし、母は直後に50歳少しで亡くなっているから、どういう知り合いだったのか、どういう機会にいただいたのかも分からない。
もともと野を歩くのは好きだけれど、この本のおかげで、四季折々、さらに楽しみが加わっている。

# またカテゴリが増えてしまった...。

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