Herbes - Kräuterの最近のブログ記事

wachau.jpgオーストリアワインのことをあまりよく知らない。

1985年のワイン・スキャンダル(不凍液ジエチレングリコールの混入。ここの記述が詳しい)のイメージが、ぼくにはずっと強かった。その後厳しいワイン法が定められたようだし、考えてみればもう20年以上前の話ではないか。しかし数年前にも、ウィーン近郊のホイリゲのワインの品質はかなりひどいものだという記事を、どこか(たしかドイツ語の記事だったと思う)で読んだ記憶がある。

そんなわけで、オーストリアワインにはあまり関心を抱かずに来た。でも赤白のキャップシールの色で際立つオーストリアワインは、日本のワインショップでも、ときどき見かけるようになった。

オーストリアワインの公式ホームページ(日本語)。
オーストリアのワイン生産地域の見やすい地図もある。これらワイン生産地域が明確に分節されたのも、スキャンダルを受けた1986年のワイン法以降のことらしい。

    
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1998年に、ボンにいたとき、友人のエーベルハルトにさそってもらって、郊外の小劇場でハントケの『観客罵倒』を観た。登場する俳優は二人だけで、お互いにしゃべりあっていたかと思うと次第に客席に向かって罵詈雑言を吐き始める、そういう「演劇」だ。金属フレームで組まれた5、6段の客席の下に車輪が仕掛けてあって、芝居の途中で黒子が客席全体を前方の壁に向かって押していき、しばらくの間観客はただの壁と向き合わされたり、まあいろいろと時代に合わせて趣向が凝らされていた。周りの観客はすでに心得たもので、罵声をあびせられても、壁とにらめっこさせられても、ひたすらきゃあきゃあ言って愉しんでいる感じで、きっと30倍以上は(ってどういう数字だか分からないが)あったと思われる1960年代末の初演当時のインパクト(途中で憤然と席を立つ観客がいたなどということ)は想像する他なかったが、ともかく面白かった。

oil.jpg
ドイツで購入したアロマオイル
次第に俳優が観客を罵倒し始めるこの芝居の現代風アレンジで付け加えられたセリフの中に、「アロマテラピーやってるやつら」というのがあって、なかなかセンスがいいと思った。近ごろは日本でもいたるところでエッセンシャルオイルが売られるようになった。(「セラピー」は英語の発音を模したもの。ドイツ語、フランス語なら「テラピー」。)
    
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本のタイトルは『りんごの本』だが、頁を繰っていくとさまざまな果物が次々に現れる。色が鮮やかだし、一頁おきに透明フィルムになっていて、それをめくると果物の断面図が現れたり、なかなか楽しい。最後に出てくるのがベリー類。大きな赤い苺(ストロベリー)の描かれたフィルムのかげに、いろいろな漿果の絵が隠れている。

livre_de_pomme.jpg
で、この頁のテクストが、「さんぽをしたとき、立ちどまってよくみてごらん。野イチゴ、ラズベリー、ブラックベリー、ブルーベリー、コケモモ、いろいろみつかるかもしれないよ。」...これはフランスのガリマール社の絵本の翻訳なのだ。日本で散歩をしても、犬が棒に当たることはあっても、私たちがこういった果実にぶつかることは、残念ながら、まずない。

実は、ヨーロッパに行った時のささやかな愉しみの一つが、「さんぽをしたとき」、こうしたベリー類に出会うことなのだ。

    
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キノコ

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キノコのことを、あまりよく知らない。

先日、近くの低い山に行ったら、ちょうど気候と時期がぴったりだったのだろう、実にさまざまなキノコが生えていてびっくりした。大きなもの、小さなもの、白いもの、茶色いもの、赤いもの、近ごろ店に出るようになったヤマブシタケらしきものも、あれはアミガサタケだったのかなというものもあった。でも目的は別にあったので、ほとんど素通り。

オーストリア出身のペーター・ハントケという作家は相当なキノコ好きでもあって、『反復』"Die Wiederholung" (1986) でもケルンテンの林でキノコを採る話が出て来たし、1000ページ超の「不作法なまでにぶ厚い」作品、『無人の入り江の一年』"Mein Jahr in der Niemandsbucht" (1994) でも、その相当なページ数にわたって、主人公はパリ近郊の森林でキノコ狩りに興じている。1999年の小品、『森のルーシー』 "Lucie im Wald mit den Dingsda" (タイトルは Lucy in the Sky のもじり)になると、ハントケ自身に重なるなんだか情けない父親と、刑事である母親との間に生まれたルーシーという10歳の女の子が、初めは父親のキノコ狂いを嫌っていながらしだいに染まっていき、最後はなぜか投獄されてしまった父親をキノコのおかげで救い出してハッピーエンドになるという、かなり強引なメルヘン。作家自身の手になる10葉ほどのイラストが美しい。

ドイツ人がキノコが好き、キノコ狩りが好き、ということはよく言われているし、どこの町の市場にも、おいしそうなキノコが色とりどりの野菜や果物と並んで売られている。ドイツでは、薬剤師になるにはキノコに関する知識が必須で、人々が、自分で採ってきたキノコを薬局に持っていくと、食べられるかどうか鑑定してもらえる、という話も話としては知っている。薬剤師がみてくれるとは言っても、毎年毒キノコで中毒する人も多いらしい。(ドイツに限らず、フランスとかチェコとか、ヨーロッパの多くの国でこのあたりの事情は共通しているようだ)。でもいくらかドイツで生活したことがあるとは言っても、たかだか1、2年、一度は学生寮住まい、一度は家族とともにアパート住まいをしていただけの僕は、ドイツ人たちのそういう「生活」をあまりよく知らない(南仏、スペイン、スロヴェニアで野生のハーブを探した話やクロアチアで野生のアスパラガスを採りに行った話は以前のエントリに書いたけれど、キノコは未知の世界)。シーズンにホームステイでもすれば、あるいはもう少し腰の据わった家族同士の付き合いなぞすれば違うのだろうし、とにかく一度ドイツのキノコ狩り、やってみたいと思っているのだが。日本でもやればよさそうなものだが、これがなかなか難しい。

日本では一般人(その定義は問題だが)が自分でキノコ採りに行くことはあまりない。ごく少数、ほんとうに好きな人たち、ほんとうによく知っている人たちがいるだけだ、と言って間違いではないだろう。街角の薬局で確認できるわけでもないから、食べられるか否か判定する自信のない人たちにとっては、スーパーで売られているわずかな品種が食用で、山や町や公園で見かけるキノコは無意識のうちにすべて「毒キノコ」だと思ってしまう(思うことにしてしまう)のも無理はない。 「きのこ専門の画家」の小林路子は、こんな話を書いている。東京のとある公園の木の切り株に出ていたエノキタケをスケッチしていると、小学生の女の子と母親が通りかかる。女の子が叫ぶ。「お母さん! きのこがあるよ! ナメコみたいなきのこだよ!」母親は子どもの手をぐっと引いて言う。「毒きのこよ! 触るんじゃないの!」...エノキタケだってのに。小学校低学年とおぼしき女の子の「ナメコみたい」のほうが限りなく正解に近いのだ。この母親の視線はいったい何を見ていると言えるのか。この問題をキノコに限らず僕らがものを見るときの姿勢一般に敷延すれば、お手軽にとても教訓的な結論が得られるけれど、それはここで語るまでもあるまい。

この本の著書あとがきで、小林さんは自分の作品をイギリスの植物園に寄贈した話に関して書いている。「日本は、量、種類ともに、きのこに恵まれた国である。だが、日本の大学には菌類専門の講座もないし、それに、私の絵を大事にとっておいてくれそうな博物館もない。」独自色を出すことに汲々としていながら周囲の後追いしかしていない地方私大あたり、充実した菌類学の学科でも立ち上げてはいかがかとも思う。ロビー活動でもやって法案を通し、卒業生を全国の薬局に送り込む...。もっとも、文系中心で来たところは難しいかもしれないし、何より既存の諸大学薬学部の反撃がすごそうだけれど。

それはともかく、ふと手に取ったその小林さんのこの本、とっても面白かった。


"森のきのこ採り―すぐそばにあるアナザー・ワールド" (小林 路子)

ふとしたきっかけでキノコにのめりこみ、描くキノコ(食用・有毒を問わず)を求めていたるところに出かけていく話が、四季に分けて語られていく。本文のわけの分からない(自己イメージなのだろう)クマちゃんの出てくるモノクロの絵もいいけれど、栞のように投げ込まれたカードのタマゴタケとカバーの折り返しのエノキタケだけがカラーイラストで、それがはっとするような美しさを放っている(こんどこの人のきのこの画集も探してみよう)。何より話の中身が面白い。僕もせめて案外身近にあってかつ売られているものとは全然違うという野生のエノキタケぐらい(もちろん食えるものがいいのだ)、見つけ/見分けられるようになりたい...。

    
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前のペヒトランカに関するエントリに、ここのハーブ名各国語辞典がすごい、と書いたけれど、フローラとフォーナの名前の日本語表記というのは結構問題だ。

英文学の古い翻訳で、マンネンロウというのがよく出てくる。これがローズマリーのことだと知ったときの衝撃は大きかった。大昔の大学の英語だかドイツ語だかの先生で、植物の名前が出てくると、全部「トネリコ」にしてしまった豪傑(というか無知)がいた、というようなエピソードもかつてどこかで誰かが書いていたのを読んだ記憶がある。

ドイツ語の Salbei ザルバイ。たしかに「サルビア」でもあるんだけれど、どうもほとんどの場合日本で今では英語式に言うハーブの「セージ」のことのようだ。しかし独和辞典にはそう書いてないから、間違われることが多い。今の日本語でセージはセージでしょう。ちょっと気の利いたスーパーならどこでもそういう名前で売っているのだから。

シンチンゲル、南原、山本『新現代独和』(三修社)はもはや古典だが、ここに言う「サルビア、ヒゴロモソウ(とくに葉は薬用)」の「ヒゴロモソウ」って、セージのことなんだろうか。確かに料理以外に「薬用」にもなるだろうけど。(追記:広辞苑によればヒゴロモソウは「サルビア」の別称だそうだ。)
『フロイデ独和辞典』(白水社)も、もともとあまり期待できない『新アポロン独和辞典』(同学社)も、ドイツ語の新語は積極的に取り入れていることがウリらしい日本のドイツ語学会のドンの書いた『アクセス独和辞典』(三修社)も、けっこう頼りにしている小学館の『独和〈大〉辞典』も、すべてあっけらかんと素っ気なく「サルビア」。と思ったら、『クラウン独和辞典 第2版』(三省堂)だけは、「サルビア、セージ」としてあった(初版電子ブック版を確認したら「サルビア」のみだった)。濱川先生のクラウンはエラい。

最近、ヴァルター・メアス『キャプテン・ブルーベアの13と1/2の人生』を平野卿子さんの巧みな日本語訳(河出書房新社)で読んでいて、この「サルビア」が出てきてしまって、あらら、と思ったのだった。

実は同じミスを、僕自身、大昔にやった翻訳でやっている。

まあこれだけあらゆる独和に「サルビア!」と合唱されると、多くの翻訳者がそうなんだと思ってしまうのも無理もない。独和辞典の編者たちの責任だよね。もっとも、もちろん「セージ」という〈日本語〉が成立したのがたかだかここ十年ぐらいだという事情が一番大きいのだけれど、ことはドイツの奇妙にねじれた食事情にも絡んでいるのではないか。ドイツ語圏の食事情がある意味で貧しいのはよく知られているけれど、これはおそらく「伝統料理」にあまりハーブ類が出てこないことが大きい。フランスやイタリアやスロヴェニアではハーブ類を巧みに使う料理が多いけれど、そういうのはドイツ語圏にとってはどこか外国のもの、特別なものというイメージがある。古くからドイツで使われているハーブと言えば、クミン (Kümmel) の種とか、ピクルスに使うディル (Dill) ぐらいだろうか。今やドイツにもハーブ類をふんだんに使ったレシピをたくさん載せている料理本や料理雑誌はものすごく多いのだけれど、いったいこれどこのドイツ人が作るの?という印象がある。なんだか、陸続きなのに、あるいは陸続きだからこそ、近隣諸国のハーブの使い方を含めたそういう美味しい料理法を取り入れてしまうと、まるでアイデンティティが崩壊してしまうみたいなのだ。ラカン風に言えば一種の「去勢の論理」。

一昨年の夏、マインツのライン河畔のレストラン Rheingoldterrasse Café で食べたセージを効かせた豚肉料理はうまかった。でもそういうのはイタリア料理ということになっているわけ。

そういう状況だから、独和辞典編集者たちが、特に個人的にハーブ類に関心を持っていない場合、その関連の訳語選定や記述が素っ気無くなるのは必然なのだ。

ちなみに、スロヴェニア語では žajbelj ジャイベル。いずれにせよラテン語の salvus が起源らしいが、ドイツ語とは微妙に音韻が交替しているのが面白い。

    
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Pehtranka

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カタカナに移すのであればペヒトランカ。スロヴェニアの、タラゴン入りのロールケーキ。スロヴェニア語でタラゴンは pehtran ペヒトラン。それが入ったロールケーキが pehtranka ペヒトランカ。

スロヴェニアは、スウィーツ (slaščice スラシュチツェ)、ケーキ (pecivo ペツィーヴォ) の類いがまた、実はとてもおいしい。

ロールケーキ(ケーキというより少しパンに近い)は Potica ポティツァと言い、蜂蜜入り、クルミ入りなど、さまざまな種類のレシピがある。その中でも、このペヒトランカがいい。他のポティツァが「〜のポティツァ」と呼ばれるのに対して、このタラゴン入りのものだけは、同様の pehtranova potica という言い方もあるものの、pehtranka というたった一語で言う言葉が存在する。

このペヒトランカを、ボヒンのバカンスアパートに滞在した折、家主のマリヤおばちゃんが作って食べさせてくれたのだった。

タラゴンというと、フランス料理のイメージが強いが、こうしたお菓子に使ってその甘い香りがとてもよく生きているのは、このペヒトランカを措いて僕は知らない。

pehtran.jpg
この画像はここから拝借した。ロシアン・タラゴンだ。このオーストリアのサイトでは、40もの言語でのハーブの呼び名が纏められている(日本語まである)。こういう各国語対照のハーブ名辞典を作りたいなと思っていたのだが、屋上屋を架すところだった。そもそも40言語なんて僕には無理だ。

ふしぎなのは、スロヴェニア語でタラゴンを指すペヒトランという名が、孤立しているように見えることだ。他に似た名で呼ぶ言語がない。お隣のクロアチア語でも、タラゴン、エストラゴンの系統の呼び名しかない。

肝心な(?)ペヒトランカのレシピだが、スロヴェニアのお菓子レシピ本で最も権威があるのが、『シスター・ヴェンデリーナのケーキ』というこの本。カラー図版の美しい大型本。もちろんペヒトランカのレシピも詳しく載っている。詳しすぎて、きちんと日本語にして紹介する余裕と能力が、いま、ない。
Marija Ilc, sestra Vendelina "Pecivo sestre Vendeline" Ljubljana: Vale-Novak, 1995.

英語によるレシピならば、たとえばここで読める。
Slovenia News

また、クルミ入りポティツァのレシピだけだが、ここも英語。タイトルの通り、「スロヴェニア語旅行会話」のサイト。
Slovene for Travelers
オマケとして挙がっている例文が、「(この)ポティツァはすばらしい。」 Potica je izvrstna.

    
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コムナ Komna は、コムナ小屋から西や北に広がる台地の名前で、ボヒンの大きな谷全体のどん詰まりの上部にあたる。コムナ小屋から (13:00) 北に向かって歩いていくコース、右手はそのコムナがボヒンに落ち込む断崖だが、コムナ台地は大きく、コースはしばらく台地の上の大きなゆるやかな谷の中、石灰岩の白色が支配するまばらな樹林の中を小さく上下する。やがて急登があり、道は断崖のすぐ近くに出て、ボヒンの湖の展望が開ける。
bohinj0014s.jpg
この写真はそのあたり。ちょうど、あのサヴィツァ滝の断崖の真上のあたりだ。手前の石灰岩の白さに、後景のはるか下の湖がすっかり暗く沈んでしまっている。ご覧いただきたいのは、石灰岩のわずかなくぼみに花を付けているタイムだ。下の牧草地にタイムやヤロウがふんだんに生えていることは前に触れたが、ことにタイムは、かなりの標高の条件の厳しいところにもよく生えている。そしてまた香りがいい。
フランスのすぐれた料理人は、野や山の中に、とりわけ香りのよい香草の生える「秘密の場所」を持っていて、決して他人には教えないのだ、といった話をどこかで読んだ記憶がある。こういうところに生えているこういうハーブを見ると、そんなこともあるのだろうなと思える。

やがて道は急斜面の下りとなり、一気にČrno jezero(チュルノ・イェーゼロ、黒湖)のある谷に降りていく (14:40)。黒湖は、トリグラウ七湖の一つ。流れ込む川も流れ出す川もない、やはり地下水脈が地上に顔を出していできている小さな湖。水位はそのときどきで著しく変化するが、長さ150m、幅80メートルほど。ここでも、エメラルドの色をした水は透明度が高い。あたりを覆うトウヒの森が水面に黒い影を落としており、それゆえの名前のようだ(これより上の湖の周りには森林はなくなる)。水温はあたりの湖の中では高めで、泳ぐのにちょうどよく、長い歩きでほてった体を冷やしている登山客がときどきいる。
crno_jezero.jpg

ここから北の方に向かって、七湖谷と呼ばれる大きな谷が弓なりにトリグラウ山のほうに続いている。トリグラウへの登山道の一つ、長い長い道だ。この黒湖は七つの湖の一番下。そしてここは、依然、ボヒンの大きな谷のどん詰まりの断崖の上だ。つまりボヒンを取り囲む山々は、その奥、湖の北から西にかけてもっとも急峻な断崖となっているのだが、その断崖の上に、さらに台地や尾根や谷がはるかに連なっている。その端っこにあるのがこの黒湖。

ということはだから、ここからボヒンへの下りもまた、ほとんど断崖のような急な斜面に付けられた道を辿っていくことになる (14:50)。この斜面にはコマルチャ Komarča (梯子)という名が付いている。イドリヤの博物学者 Breton Balthasar Hacquet (1739-1815) は、ここを最も早く訪れた人物の一人だが、登るのが困難な地点の多くで、生えているトウヒの枝を短く落とし、それを梯子のように使って乗り越えたといい、そこからこの斜面も Komarča と呼ばれるようになったのだという。(Peter Skoberne, Triglav National Park. Ljubljana, 1991 による)

とは言え、今現在歩いているかぎり、樹林に覆われたジグザグの、普通の登山道だ。降りきって振り返ったとき、このほとんど垂直に見える壁のどこにあの道があったのだろう、どこを歩いてきたのだろう、と訝ることになる。やがて針葉樹の植林帯に出て、さらに下ると、川の左岸を、ホテル・ズラトロクのあるウカンツ Ukanc からやってくる道に降り立つ(15:55)。出発地のサヴィツァ小屋は、右へ歩いて木橋を渡ればすぐだ。

サヴィツァ小屋から、このときは、夏のみの Turist Bus (16:20) で Polje ポーリェの村へ行き、そこの食堂 "Pristavec" で夕食をとった。この食堂は、いまはない。

    
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ボヒンは周りをスロヴェニアの最高峰トリグラウをはじめとする高山に囲まれ、本格的な登山(たとえば以前のこのエントリを参照)のベースとなる土地だが、軽いウォーキングのコースにも事欠かない。ボヒンスカ・ビストリツァやリブチェウ・ラースの観光案内所で手に入る Bohinj の一万五千分の一地図は、そういうコースを一ダースほど載せている。

野生のオレガノ (dt: Oregano, slo: origano, dobra misel) の一大群落を見つけて感激したのは、そうしたコースの一つ、ボヒンスカ・ビストリツァからサヴァ・ボヒンカの川沿いを下流に向かって歩き、グルメチツェ滝 slap Grmečice へ向かうコースの途上だった。イタリア料理によく使われるオレガノは、南欧起源ということになっているから、イタリアにも遠くないここでこうして生えていても不思議はないが、現実に群落にぶつかると、嬉しかった。

野生のミント (dt: Minze, slo: meta) の一種を、最初に見つけたのは、カムニェの隣村サヴィツァからボヒンスカ・ビストリツァに向かう車道の脇。ついで、ルードニツァの登山道だった。

bohinj0013as.jpg

ルードニツァ Rudnica は、ボヒンの南の谷と北の谷を隔てる山で、標高946メートル。この山への道も、同じ地図に載っている。カムニェなどのある南の谷は標高500メートル程度だから、標高差はたいしたことはないが、勾配はきつい。下から見上げた斜面は森林と断崖がまじりあって、断崖の一部は激しく崩落したガレ場になっているのが下からも分かる。この南の谷からのルードニツァのコースは、ボヒンに入って、周りの本格的な登山コースに行く前の足慣らしにちょうどいいかもしれない。

カムニェからは、例のよろず屋の前を通って、川沿いの野道(ここでもブラックベリーが摘める)をまっすぐ、となりのサヴィツァ Savica の村まで行き、そこで橋を渡って少し右へ歩くと、2、3軒の民家をはさんで登山口がある。左に向かう林道を離れ、ひたすらまっすぐ急な登山道を登っていくと、やがて左に折れて、ガレ場を渡る。上のミントの写真はこのあたり。このあとは山陵直下の10メートルもない断崖を右に見ながら、ゆるく左に巻いていくことになる。広葉樹林の中の歩き。そのちょっと暗い道が尽きて、稜線上の小さな明るい牧草地に飛び出したとき、息を呑む。まだ刈り取りが終わっていなければ、赤、青、紫、黄色のとりどりの花、その向こうにぽっかりと浮かぶ、最高峰トリグラウの白い姿。稜線上のコルにあたるこの牧草地のこの光景には、初めて訪れたとき、心底ゆさぶられたのを覚えている。
道はそこから東に向かって樹林のゆるやかな稜線上をたどる。右手は先ほど下を歩いてきた断崖だ。この尾根には Široka polica シローカ・ポリツァ (「広い棚」)という名前がついている。10数分で、もう一つの牧草地の作業小屋の脇を通って、北にむかって一登りすると、ルードニツァの山頂だ。樹林の中だが、東面は断崖で、眼下にセノジェータの牧草地、その向こうに南北ボヒンを隔てるもう一つの山、シャウニツァ Šavnica が見える。
復路は往路を戻ってもいいし、稜線上の牧草地から北の谷のスターラ・フジーナ Stara Fužina へ降りてもいい。

    
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アパートは、家主のアドルフさんが自分で建てたと聞いた。敷地はそのまま牧草地。わずかな生け垣のほかは、庭を囲う塀はない。これは村のどの家でも同じだ。

初夏、この草地の植物たちが、色とりどりの花を付ける。いわゆる「ハーブ」の代表格、タイム (dt: Thymian, slo: timijan) やヤロウ (dt: Schafgarbe, slo: rman) は牧草地のいたるところに生えていて、草地を一歩歩けば踏みつけることになる。写真はチコリ(dt: Wegwarte, slo: potrošnik, cikorija)の仲間だと思われる。これもそこかしこに生えている。朝霧の中で、ぼうっと発光するように咲いている青い花(ハルデンベルクか?)はとても美しい。

bohinj0013bs.jpg

先に書いたように、アパートと家主の家の建っている敷地自体が一面牧草地で、その一部が畑、菜園になっている。さまざまな野菜の他、スープセロリやタラゴンなどもそこで栽培している。このあたりの家はどこもそんな自給用の菜園を持っていて、おそらくだからボヒンスカ・ビストリツァあたりのスーパーに行っても、特に葉ものは、あまりよい品を置いていない。推測だが、買うのはバカンス客で、地元の需要はあまりないということではないか。

家主の夫人、マリヤおばちゃんは、僕がこうした植物に関心があると知ると、図鑑を貸してくれたり、いろいろ気づかってくれた。一緒に庭を歩き、あら、こんなのも生えてるわよ、と言って「ぶち!」...こちらが止めるまもなく折り取ってしまうのには参った。ある種途方もない贅沢さ、豊かさ。折ってくれたのは、たしかたった一本咲いていたウサギギク(dt: Berg-Wohlverleih, slo: arnika) だった。

カムニェの村のバス停わきの草地には、初めて見る花弁の無いカモマイル (dt: Kamille, slo: kamilica) が生えていた。和名を知らないので、「坊主カモマイル」と勝手に名付けることにした。花びらのない以外は、15〜20センチの丈も甘いリンゴのような香りも普通のジャーマン・カモマイルに変わらない。

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lavendar.jpg

かつてPeopleという今はなきパソ通の「ハーブガーデン」にポストしたリポート。

「仕事の関係で4ヶ月ほどヨーロッパにおりました。実は野生のハーブを見てくるというのが裏のテーマの一つでした。

「最初に一週間ほど、南フランスを回りました。駆け足でしたが、それでも野生のミント、タイム、フェンネル、マロウが確認できました。本当にみんな野草、ほとんど雑草なんですよね。マロウはそれこそどこにでも生えて、花を咲かせていました。フェンネルもあちこちで見かけました。細く分かれた葉先の一本一本が厚みと艶を持っていて、とても香りの高いものです。特にゆっくり見ることができたのは、F村のペトラルカ博物館の裏手の草地でした。

「こういう野生の植物を「庭」に整形してしまったのがイギリス人、狭いベランダで気候や土壌の違いに悪戦苦闘しながら一生懸命に栽培しているのが日本人ということなのでしょう。ベランダで必死に「栽培」しているのが馬鹿馬鹿しくなります。(もっとも、スイスのローザンヌの駅裏でも、窓辺に置かれた貧弱な料理用ハーブ一式みたいなプランターを目にしました。)

「南仏の名物ラヴェンダー畑は車でかなり入ったところから広がっていますが、6月初旬では残念ながら灰褐色のボサボサした株が並んでいるだけでした。

「かえって寒冷なはずのドイツの街中で、歩道に置かれた石造りのプランターにラヴェンダーやセイジが植え込まれているところが多く、そういうところのラヴェンダーは、5月末から6月でも、意外にも花をつけ始めていました。

「いずれにしても、われわれの多くがあれだけ苦労しているラヴェンダーが、あっけらかんと何の苦もなく元気に育っているのはくやしいというか羨ましいというか」

...現在では、日本の気候に適したラヴェンダーが多く出回るようになり、一般家庭で栽培するのは少しも難しくなくなった。でも1995年ごろ、日本で「ハーブ」がはやり始めたころは、ラヴェンダーを育てるのはとても難しく感じられたのだ。

    
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庭のないアパート暮らしだと、ついこんなものに手を出す。
spargel.jpg
近くの「ホームセンター」で購入。紙箱をあけると、ポリ袋の中に土が入っていて、そこに直接水をやっておくと、アスパラガスが伸びてくる。パッケージ写真のような立派なのはもちろん出てこない(世話の仕方が悪かっただけ?)。鉛筆、いや、箸ほどの太さのものが数本収穫できただけ。

...いや、野生のアスパラガスだと思えばいいのだ。

1989年の春にドブロヴニク Dubrovnik (ユーゴスラヴィア。いまのクロアチア)の民宿に泊まったとき、宿のこどもと裏山に野生のアスパラガスを採りにいった。
dubrovnik.jpg

ボンの大学にいたときのことで、大学の哲学の先生、ヨーゼフ・ジーモンが主催するニーチェをテーマにしたセミナーが一週間、ドブロヴニクであって、それに参加した。ドブロヴニクは「アドリア海の真珠」。まわりをぐるりと取り囲む城壁とともに、古い町並みがそっくり残っている。
Dubrovnik Online, Travel Guide for Dubrovnik and Dubrovnik Region
Grad Dubrovnik - City of Dubrovnik
歴史的な参考書には、バリシァ・クレキッチ 田中 一生(訳)『中世都市ドゥブロヴニク』がある。

観光案内的・旅行記的な情報は、日本語でもすでにネット上にふんだんに見つかるはずだ。上の Dubrovnik Online には美しい写真集もある。旧市街の外には当時すでにリゾートホテルもあった。そのころはまだユーゴスラヴィア解体前。紙幣にはティトーの肖像があった。ドブロヴニクの町の外、小さな岬の上に、セミナーハウスがあって、当時のユーゴはそういうところに安い価格で国際セミナーを一生懸命誘致していたのだと推測する。

僕にとって初めての「東欧」だった。ボンから寝台列車でウィーンへ。数日いて、リュブリャーナに移動して二三泊し(これが僕にとって本当に初めてのスロヴェニアだった)、そこからまた寝台列車でアドリア海岸に出て、それからきらきら光るアドリア海岸沿いにバスでドブロヴニクまで行った。旧市街のすぐ外のバスターミナルで降りると、民宿の客引きにきているおばさんたちが何人もいた。ルーム、ルーム、ツィメル、ツィメル...。ツィメルというのはドイツ語の Zimmer のことだった。

そういうおばさんの一人につかまって、セミナーハウスにも宿泊施設があることは分かっていたのだけれど、これも面白いか、と泊まることを承知した。客引きに一生懸命だったのだろう、(本来付かない)夕食も食べさせる、とおばさんは約束した。まあ、一二泊してみて、気に入らなかったら途中で出るよ、と言ってオーケーした。僕はクロアチア語はからきしだったから、片言のドイツ語や英語の会話だったはずだ。

おばさんの家は、ドブロヴニクの旧市街からはちょっと離れたところ、バスで数分、それからさらに坂道を上ったところにあった。
男の子が二人いた。立ち入って尋ねたりはしなかったが、亭主の姿は見かけなかった。おばさんは、ちょっと疲れた、キッチンドリンカーのような気配があった。上の子は、中学二年生ぐらい。とてもしっかりしていて、習い始めたばかりの英語をけっこう上手に使いこなし、通訳の役を果たしてくれた。最初、他に客はおらず、夕食はこの家族と一緒に摂った。海辺の町、魚介類がおいしかった。料理にはたいていオリーブオイルをふんだんに使った。

時間のあいていた午後、この上の息子と裏山に野生のアスパラガスを採りにいった。石灰岩の岩がごろごろしていて、わずかに木が生え、下薮の生い茂った道らしい道もない斜面に入っていって、探す。アスパラはやはり細いもので、ひょろひょうろと一本ずつ伸びている。子供は薮の中に次々に見つけて摘んでいく。そのうち僕も慣れてきて、見つけられるようになった。「この人すごいよ、すぐに見分けられるようになったよ」と、帰ってから、子供は母親に報告していた。これもオリーブオイルで炒めて、みんなで食べた。(たぶん続く)

    
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Shim-K さんの「菜の花のおひたし」に反応して:

capsella.jpg
そろそろ時季は終わりだけれど、ナズナの花のおひたしが美味い。白い花穂の部分だけを摘んで、茹でるというよりさっと湯がいて、芥子醤油で和える。菜の花をずっと柔らかくしたような味わい。ナズナというかぺんぺん草の花を摘んでいる人など他に見たことがないから、案外知られていないのではないか。
もちろん、七草の一つなのだから、根元の方からまるごと茹でてもいいのだが、花のところだけをさっと湯に通すのが、またいいのだ。

これは、この本に教わった。

野草の料理
甘糟 幸子


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現在はこの単行本でしか手に入らないようだが、手元にあるのは1981年の中公文庫版。扉に著者から僕の母あての献辞が1983年8月という日付とともに書かれている。著者には僕は面識はないし、母は直後に50歳少しで亡くなっているから、どういう知り合いだったのか、どういう機会にいただいたのかも分からない。
もともと野を歩くのは好きだけれど、この本のおかげで、四季折々、さらに楽しみが加わっている。

# またカテゴリが増えてしまった...。

    
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