2003年、ドイツ、135分。Margarethe von Trotta 監督。
ニューヨークに住むルート・ヴァインシュタインは、夫を失ったばかり。ことさらにユダヤ教の教義を守って、親族に30日間の喪を強いる。ルイスと結婚したいという娘ハンナの希望は撥ね付ける。なぜそこまでするのか、過去については黙して語らない母がくぐりぬけてきた時代を知るために、ハンナはベルリンに飛ぶ。そこで会った90歳のレーナ・フィッシャー、戦中、母の養母であった人物の口から、ようやくハンナは過去の事実を聞き出す。それは1943年2月のことだった...。
という枠物語形式で語られる第二次大戦中のドイツの物語。
スターリングラードでのドイツの大敗後の1943年2月、ベルリン。ユダヤ人の夫をもつ数百人の女性たちがローゼンシュトラーセ( Rosenstraße 薔薇通り)で大胆にもデモを行い、収容所に送られようとしている夫を返してくれ、と訴える。もともとこの通りにはユダヤ人コミュニティの本部があり、それを接収したナチは、そのままユダヤ人たちの仮収容所にしたのだった。さらに驚くべきことに、彼女らの訴えは成功を収める。夫たちは帰ってきたのだ。
この史実を舞台に、個々の登場人物はまったくフィクションとして創造することで、マルガレーテ・フォン・トロッタ監督・脚本の "Rosenstraße" は、この出来事を目に見える・分かりやすい (anschaulich) かたちで見せてくれる。
いくらかの批判や疑義もある。たとえば史実との関係については、ゲッベルスはこのローゼンシュトラーセのユダヤ人たちを(映画のように)どうこうできる立場にはなかったはずだ、とか。あるいはナチはあまりにナチらしく、プロイセン貴族(レーナの父親)はあまりにプロイセン貴族らしく、要するに紋切り型に描かれている、とか。あるいはまた枠物語仕立てにしたことによって、進行も人物の心理も無用に複雑になってしまっている、とか。尻馬に乗って、レーナの夫、ヴァイオリニストのファビアン (Martin Feifel) がヴァイオリンを弾く(フランクのヴァイオリンソナタ!)姿(特に右手)がまったくサマになっていない、とも付け加えておこうか。
しかしセットもカメラも巧みだし、キャストには名優を揃えているし。戦中のレーナを演じるカーチャ・リーマン Katja Riemann は、この映画でヴェネツィア映画祭の Coppa Volpi を獲得している。ハンナを演じるのはマリア・シュラーダー Maria Schrader。モーリツ・ブライプトロイ以上に、この人の多彩な役作り、演じ分けには感心する。『愛され作戦 Keiner liebt mich』のファニー・フィンク役、"Stille Nacht" のユリア役、『コマーシャル・マン』のヨハンナ役、『エーミールと探偵たち』のフンメル牧師役。『エーミール』でコミカルな役を演じていたシュラーダーとユルゲン・フォーゲル Jürgen Vogel が、"Rosenstraße" でも揃ってシリアスな役を演じているのを見比べるのも面白いかもしれない。
全体としてよくできているのは確かだし、またローゼンシュトラーセの出来事を目に見えるものにした功績も疑いえない(これを素材とした映画は先行作品があったようだが)。
映画を離れて、歴史的なローゼンシュトラーセについて言えば、Le Monde diplomatique の記事 Ces femmes courageuses de la Rosenstrasse で Dominique Vidal が書いているように、このローゼンシュトラーセの出来事は、まず、ナチ政権に対して受け身の姿勢をとり、「どうしようもなかったのだ」と言ってきた人々に対して、仮借のない疑問符を突きつける。さらに、この43年の出来事に限らぬ一般的な問題として、ナチ政権は、これまでの歴史研究で想定されてきた以上に、実は民衆を恐れていたのではないか、という問いを提起する。このことは、やはり Le Monde diplomatique で抜粋が紹介されている(→日本語版) Götz Aly の近著 "Hitlers Volkstaat. Raub, Rassenkrieg und Nationaler Sozialismus" に言う、ナチスが国民の支持をいかに「金で買う」ことに腐心していた(ユダヤ人や占領国から収奪した富を「福利厚生」に回していた)かという指摘とも平仄が合う。



