Bons voyages: marec 2005アーカイブ

スロヴェニアはわずかな海岸線 (46.6km) でアドリア海に面していて、コペル (Koper)、イゾラ (Izola)、ポルトローシュ(Portorož)、ピラン (Piran) といった町がある。コペルは港町、イゾラは漁港とヨットハーバーの静かな町。ポルトローシュは海に向かってリゾートホテルが立ち並ぶ町、ピランは小さな岬の突端の、すてきに古い小さな町。

毎年、夏に、このあたりで、Poletni tečaji slovenskega jezika na Slovenski obali (= Solovene Language Summer Course on the Slovene Coast)と称して、スロヴェニア語の夏季コースが開かれる。
コースのページは->こちら(このページ、ZRSのホームページからはリンクが見つからなくて探すのに苦労してしまった。)
tecaj.jpg
プリモルスカ大学のコペル学術研究センターの主催。12回めを迎える今年も、開催のアナウンスがあった。期間は2005年8月1日から14日まで。スロヴェニア語をまったく知らない初心者から上級まで、原則として15歳以上であれば誰でも参加できる。講習費用は416ユーロ。今年度は、宿泊施設としては、講習会場でもある「ポルトロージュ学生の家」 Dijaški dom Portorož と、「コロタン学生の家」 Študentski dom Korotan の二カ所が用意されている。ポルトローシュのほうは2人部屋3食付きで315ユーロ(1人部屋は+76ユーロ)、コロタンのほうは2人部屋で228ユーロ(1人部屋は+81ユーロ)。自分で近くに民宿やホテルをとってもいい。海辺のリゾート地だから、宿は豊富にある。

参加申し込みは、まず80ユーロを登録料(講習費416ユーロの一部となる)として送金し、払い込み票と、上記ページ末尾にZIPファイルで提供されている申込書に記入したものを、6月6日までにZRSに郵送する。クレジットカードや小切手は不可。詳しくは上記サイトの"Registration and payment"の項を参照。

僕は1999年と2001年の2回、このコースに参加した。最初にレベル分けテストがある。1回めは初級クラス、2回目はその上のクラスだった。2回とも Gita 先生のクラスだったのはよかった。そのつど「優秀な成績」でレベル修了(笑)しているのだが、日本に帰ってくると、仕事や雑務に追われてスロヴェニア語の勉強はついさぼってしまうので、実はちっとも進歩していない。

以前は「ポルトロージュ学生の家」というのはなかったと思う。コロタンの方に泊まり、やはりそこで行われていた授業に出ていたのが最初。「ポルトローシュ学生の家」のほうは分からないが、「コロタン学生の家」のほうは、とても質素な、ユースホステルのような建物と設備だった。アドリア海岸の夏にエアコンがないのはかなり辛いものがある。二人部屋になるところをゴネて、一人で使わせてもらった。かなりきつい坂の上の建物の、たしか4階で、海がまぶしかった。部屋ではほとんど半裸でいた。そこらじゅうに、野生のディル(フェンネル?)が、丈高く生い茂っていた。サトウキビ畑があった。

2回めに行った時は、イゾラが開催地だった。やはり学生寮のような建物が会場兼宿泊施設だった。このときは近くのホテルに部屋をとった。

午後はオプションの授業に出るほか、アドリア海で泳ぐのもよし、ピランの古い町を歩くのもよし、昼寝するのもよし。遠足も二回ある(講習費に含まれる)。二度目に参加した時の遠足の行き先はムルスカ・ソボタで、いかに小さな国とは言え、バスで日帰り全土縦断往復はちょっときつかった。

「学生の家」の食事は名前から予想される通りだが、周辺のレストランはおいしいところが多い。魚料理はもちろんいいし、イタリアに近く、イタリア語を話す人々も多いこのあたりでは、パスタ類もいい。ポルトローシュのはずれ、ホテル・マルコ(だったと思う)のレストランのトリュフ入りスパゲッティは安くておいしかった。地元で作られるマルヴァジヤ種の白ワインなどもいい。

    
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カルスト、というと人はまず山口県の秋吉台、秋芳洞を思い浮かべるのではないか。だがこのカルストがスロヴェニアの地名であることを知る人は多くはないと思う。正確には、スロヴェニア語ではクラース Kras。そのドイツ名がカルスト Karst だ。(イタリア語では Carso。)この固有名をとって、同様の石灰岩質の地形をカルスト地形と呼ぶようになったわけだ。

カルストは、アドリア海の一番奥。現在、海岸部はトリエステ(スロヴェニア名トルスト Trst)を含むイタリア領が伸びていて、その背後に隆起する台地の地域。カルストと言えば鍾乳洞で、ポストイナ鍾乳洞や世界遺産登録されているシュコツィヤン鍾乳洞は日本でも知られているかもしれない。でも僕が好きなのは、小さな村々があって、人の生活があるカルスト台地だ。

カルストの土地は痩せている。石灰岩質で、雨水の浸食を受けやすく、水はほとんどすべて地中に入って地下水系になってしまうから、川はほとんどない。降水量が少ないわけではないが、地表からはすぐに消えてなくなってしまうのだ。水がないから、耕作には適さない。カルスト地方で畑になっているのは、ほとんどがドリーネの底だ。カルスト台地の陥没地、凹地。まわりが石灰岩ばかりの土地で、ドリーネの底にはテラロッサ terra rossa と呼ばれる赤い土がたまる。そのわずかな土が、耕作に利用されている。あとはただ岩の露出した草地が広がっている。その中に、ぽつりぽつりと、高い塀で風に守られた小さな村が点在する。

テラロッサは石灰岩が崩壊してできたもの。酸化アルミニウムと酸化鉄(ヘマタイト)の含有量が高い。赤い色は後者に由来する。

(でもカルスト特有の陥没地形を表すのに用いられるドリーネ doline という単語、もともとはスロヴェニア語でたんに「谷」を表す単語(の複数形)にすぎない。ドリーネを指すスロヴェニア語は vrtača ウルターチャだ。)

水がないから、森林もない。(この地方に木がほとんどないのは、かつてアドリア海岸を支配したヴェネツィアが、あの海の中に家を建てるために、わずかな樹木を伐採しまくったからだという話もあるが。)土も少ないからレンガも貴重だ。当然、家はみんな石造りだった。雨樋までが石造りで、シュタニェルにはそういう雨樋のある家が残されている(現在ではもはや記念物扱いだが)。

kras0001s.jpg石の雨樋。その下には kraška hiša 「カルストの家」と書かれた黄色いプレートが打ち付けられている。もはや記念物。


シュタニェル Štanjel は、カルスト台地の上の集落としては大きいほうだ。一つの丘をまるまる占めている。だが、集落の中の家の大半は打ち捨てられているようで、荒れている。ほんのわずかの家に、人の気配があり、そういう家は逆にとてもきちんと手入れされている。丘の麓には、このあたりで唯一の鉄道の駅がある。

冬、カルスト地方を含むアドリア海東岸は、イタリア語で(ドイツ語でも)ボーラ Bora と呼ばれる冷たい風が海に向かって吹き下ろす。スロヴェニア語ではブルヤ Burja。樹木のないカルストは吹きさらしになる。風は乾燥を強める。家々はこの風を避けるように塀を廻らしている。この風にさらされて、硬くしまった生ハムが作られる。窪地のドリーネの底は、このブルヤからも守られている。風はドリーネの上を吹き過ぎる。
夏の日差しは強い。日照りが続くこともしばしばだ。

kras0002s.jpg ドリーネの底のぶどう畑

kras0003s.jpg 赤い土

(そういえば、この地中海の北岸一帯、南フランスなども、似た土壌なのではないだろうか。初めてエクサン・プロヴァンスへ行ったとき、赤い土の色に驚き、ようやくセザンヌの描いた色が腑に落ちた。)

ドリーネの底のテラロッサで栽培されるブドウで、このあたり特有のものは、Kraški teran クラシュキ・テラン(カルストの土)という品種。そのブドウから、赤インクのような異様に鮮やかな独特の色合いの赤ワインが作られる。並外れて酸味の強いワインだ。これが、同じ土地で作られる生ハム(プルシュート pršut)やオリーブに、とてもよく合う。

カルストのブドウは、上の方で枝葉を広げるように仕立てられる。これは蔭を作って、土壌を夏の日差しから守る意味がある。気候風土に合わせた作り方だが、これは収穫作業をよりハードにする。頭上に手を伸ばして実を取っていくことになるからだ。(このあたりは Mišo Alkalaj "Wines of Slovenia" Ljubljana: DZS, 1996 からの受け売り。)

(スロヴェニアワインについて日本語ではたとえばVisi-vinを参照。ここのウェブマスターは、おそらく日本でただ一人、スロヴェニア語もちゃんと分かっているワインエキスパートのMYさん。)

シュタニェルから、いくつものドリーネの縁を回り込むようについている道路を歩いて半時間ほどのところに、フルシェヴィツァ Hrševica という村がある。この、なんでこんな辺鄙なところに、というようなところにグルチャという名前の食堂がある。農家の兼業で、週の半分くらいしか開いていない。大滝秀二系のおじいちゃんがあるじで(お元気だろうか?)、風よけの塀に囲まれた庭に並べられたテーブルで、自家製の生ハム、自家製のオリーブ、自家製のクラシュキ・テランのワインを出してくれる。生ハムは固く締まっていて、それを薄く薄く削いで出す。固くしなやかな木を鉋で削いだような感じだ。あるガイドブックによると、トリエステあたりのグルメがよく訪れるという。(トリエステはこのカルスト台地の直下の海岸部のイタリア領にある。)
kras0004s.jpg フルシェヴィツァ村の食堂 Grča グルチャの生ハムと赤ワイン。

初めてカルストを歩いたとき、最初、ドリーネの存在に気づかない。半日も歩いて、しだいに目が慣れてくると、ドリーネをドリーネとして認識できるようになってくる。「ドリーネ」という言葉の知識と、自分が目にしているものとが、しばらくたってから重なり合い、結びつく。ものが見えるとはどういうことか(これはきわめてハントケ的なテーマでもある)。面白い経験だった。

    
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スロヴェニアで出版された "TRIGRAV - ein kurzer Führer" Planinska založba, 1991 というコンパクトな山岳ガイドがある(ドイツ語)。「トリグラウ山 ショート・ガイド」。その中の、夏の山地の観天望気の記述を、心覚えのために、日本語に。

【好天の兆候】
夜は山から谷へ、昼は谷から山へ風が吹く。
気圧は下がらない。
快晴か、数片の、高く、ほとんど不動の雲。
多量の朝霧。
積乱雲は遅くなって(10時以降)ゆっくり発達し、高層に達する。

【悪天の兆候】
夏の急激な悪変は、寒冷前線の通過またはGewitterによる。(Gewitter ゲヴィッターを何と訳そう? 雷を伴った、局地的な激しい雨のことだ。独和辞典には「雷雨」とある。それはそうなんだけど…。)
寒冷前線の接近を告げるのは、
 高い雲は南西の風に、低い雲は西の風にのって移動する。
 レンズ雲が出ることが多い。
 曇り方は不均一なことが多い。
 気圧がはっきりと下がる。
 たいていの寒冷前線は北西から接近し、はげしい Gewitter を伴う。夏でも雪またはヒョウを降らせることがある。
Gewitter は通常昼前にはない。
 積乱雲はかなり早く(8時過ぎ)発達しはじめ、急速に大きくなる。
 積乱雲が前日より速く高く発達するようなら必ず Gewitter がある。
 朝の中層の塔状の雲も Gewitter の兆候。
 夏には温暖前線も長雨をもたらすことがある。

    
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これはスロヴェニア・アルプスの一角の登山記録。このエントリは東欧の言語(もともと ISO-8859-2 が使われてきたような)の特殊文字の混在表示テストでもある。

ヨーロッパアルプスの東端に位置するのがスロヴェニアの山々。フランスやスイスのアルプスとちがって、観光開発が進みすぎていないのがいい。山々の標高は決して高くはないが、きわめてアルプス的。その中の一角がボヒン地方。周りを山に囲まれた、尾瀬を一回りか二回り大きくしたような地形の地域。ハントケは、古いドイツ語でタールシャフト Talschaft、谷の集まり、と形容している。尾瀬と違って、下は湿原ではなく、牧草地と湖だ。一番奥に、透明度の高い、美しい緑色の水をたたえる大きな Bohinjsko jezero ボヒン湖。さらにその奥のどん詰まりに、高さ78mの断崖の途中(カルスト地形の地下水脈だ)から落ちてくる Slap Savica サヴィツァ滝(この滝についてはこちらに美しい画像をまじえた日本語による紹介がある。ただしサヴィカという音訳は誤り)。


crna_prst.jpg Črna prst チュルナ・プルスト山 (1844m) ソース: http://www.zaplana.net/izleti/CrnaPrst/


1996年7月16日、このボヒン地方の南側を限る山脈を、ロディツァ山からチュルナ・プルスト山まで縦走。単独。この山脈の南面は非常に切り立ったところが多く、岩登りの必要はないが、かなりの緊張感がある。
ボヒン地方の中心地、ボヒンスカ・ビストリツァまたはその先の観光の中心地リブチェウ・ラース Ribčev Laz からヴォーゲル Vogel ・ロープウェイの駅まではバスで。
ものすごい急勾配で上っていくロープウェイは毎正時と30分発。下のボヒン湖がぐんぐん小さくなる。
bohinj0006s.jpg
8:30発で上まで行き、そこから8:45ごろのリフトに乗り継ぎ。(このあたりは台地状になっているが、かつカルスト地形で凹地も多く、少々複雑な地形。冬場はスキー場になる。)
8:55 長いリフトの終点 Postaja Orlova glava オルロヴァ・グラヴァ駅(小屋あり)から歩き始める。晴れ。この先、Orlov rob オルロウ・ローブ (Postaja Plato 高原駅) へのリフトは(夏は?)休止中。あたりには、さまざまな高山植物が色とりどりの花を咲かせている。
9:25 Visoki Orlov rob 大オルロウ・ローブの小ピーク。
9:30-33 分岐(シーヤ Šija 山直下で縦走路に出る)。尾根の北面。岩場とハイマツ帯の急登後、凹地の北側の縁を行く。
9:55-10:00 1796m のピーク。(Čes Suho チェス・スーホ峠の手前。初めて南面の展望が開ける。)360度の、非常によい眺め。北にはスロヴェニアの最高峰トリグラウ (2,864 m)、南はイタリアまで。
bohinj0010s.jpg
10:35-40 放牧されている羊の群の間を通って、Rodica ロディツァ山の南西の肩に出る。頭上に雲。このあたりでエーデルヴァイスの花にも出会う。
bohinj0007s.jpg
10:45-48 RODICA ロディツァ山 (1966m)。このあと、ロディツァ東側の尾根やや南西よりに岩場が続く。
11:04 岩場の通過を終えて休憩。Suha Rodica スーハ・ロディツァの手前。はるか下に、南の谷の村、Grant グラント、Rut ルートの眺めがいい。
bohinj0008s.jpg
スーハ・ロディツァ Suha Rodica 1944m は北側を、ラスコヴェツ Raskovec 1967m は南側を、マタユルスキ・ウルフ Matajurski vrh 1936m は北側を巻く。北面の窪地のいくつかに残雪。
11:55 マタユルスキ・ウルフ北面の通過終わり。ここからしばらくは南側の草地の間の快適な道。しかし霧が次第に濃くなる。コンスキ・ウルフ Konjski vrh あたりからは岩のヤセ尾根。岩場。南側からジグザグの急な登りがある。雷鳴が聞こえ始める。ペースをさらに上げる。
他の登山者にほとんど遭わなかったこのコース、このあたりで反対方向に向かうグループに遭う。ヨーロッパ系の男女とアフリカ系の男1人のグループ。一人で歩いているのか、それは危険だ、とにやにやしながら英語で声をかけてくる。余計なお世話だ。この天候では、この先避難場所もない険しい尾根道をちんたら歩いていくあんたらの方がよほど危険だ...と口に出して言わなかったけれど、言ってやるべきだったか。(やがて案の定、激しい雷雨になった。彼らには隠れる場所はなかったはずだが、どうしたか。翌日のスロヴェニアの新聞には遭難記事はなかったから無事だったのではないかと思うが。)
12:40 チュルナ・プルスト山 Črna prst 直下の山小屋、Dom Zorka Jelinčiča ドム・ゾルカ・イェリンチチャ着。ほぼ同時に激しい雷雨が始まる。どかんどかんとものすごい落雷。食事も出してくれる小屋で、昼食に煮込みを注文し、天候回復を待つ。最初に乗ったリフト終点からここまで、途中に山小屋も避難小屋もない。13:40ごろ雨が上がる。まだ雷鳴。霧が晴れ、チュルナ・プルストの山頂 (1844m) から全方位の展望を楽しむ。
14:15 雷鳴も止んだので、小屋を出発。ここで山脈の縦走は終わり。ボヒンスカ・ビストリツァに向かって下り始める。しかしまだ霧が少々。
15:00-15:12 PL. ZA LISCEM の避難小屋 (1338m)。3つぐらいの小さな池があり、ギシギシのような草が一面に生えた窪地。樹林に入り、しばらく草地と樹林の間の下り。
15:33 上の林道に出る。電動ノコで作業をしている人がいた。しばらく林道(道沿いにラズベリーの茂みあり)を歩き、また樹林へ。
16:00 下の林道に出る。すぐに右手に Dom dr. J. Mencingerja メンチンゲルヤの山小屋を見て、その先で左下の牧草地に入る。泥の道。
16:18-28 レブロ Rebro の牧草地に出たところで休憩。ボヒンスカ・ビストリツァの町はすぐそこ。陽が出たのでシャツを脱いで少し乾かす。
16:43 ボヒンスカ・ビストリツァ帰着。

    
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オンラインウェアと呼ばれるソフトには、完全に無償で使ってくださいというものもあるし、定価を設定しているもの、任意の額を寄付してくれというものなど、いろいろあるが、その一つに「ポストカードウェア」がある。最近はあまり見かけなくなってきたような気もするが、旧 Mac OS 時代にはけっこうあった。ソフトを使って気に入ったら、自分の住んでいる町の絵はがきを送ってくれ、というものだ。いまやすべてはネット上で完結してしまうけれど、インターネットが普及し始めた初期のころは、送金には郵便を使うなんてことも普通だった。「ポストカードウェア」という形態は、そういう時代の産物だったと言えるかもしれない。(ポストカードウェアではないけれど、国際ファックスでシェアウェア登録したこともあった。ファックスでは解像度が低くて名前を誤読され、僕の登録名がTskuysになって返ってきた。どう読むのかは本人にも分からない。今は昔。)

しかしそういうソフトを使って、京都などの観光名所に住んででもいなければ、はて、自分の町の絵はがきねえ...と困ってしまって、結局何も送らなかった人も多いのではないか。これはおそらく町というもののありかたが日本とは根本的に異なっていることと繋がっている。(これは前に「地元紙」について書いたこととも関係する。)ヨーロッパの町は、歴史的にほんとうの意味で「自治体」であった場合が大半であり、多くの町に「観光案内所」があり(こんなところに「観光」するものなんて何かあるのか?という所でも)、それぞれの「町の絵はがき」が売られているのだ。大半が「上からの」線引きで割られ、下からの自治の歴史を持たない日本の市町村とは異なっている。
もちろん、このあたりの事情の古典的な参考書としては、増田四郎『都市』 ちくま文庫 が挙げられるだろう。

これはボンの絵はがき。垢抜けない古めかしいタイプだが、現在でも見られる。
ansichtskarte.jpg
この画像は、こちらから拝借した。ちなみに、上段左から、かつての宮殿である大学本館、ベートーヴェン像、旧市庁舎とマルクト広場、オペラハウス、下段左から、ベートーヴェンの生家、ライン川と遊覧船、ミュンスター教会。

    
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ソリア Soria を出る日の朝、ドゥエロ川沿いを、今度は右岸を下流にむかってあるいた。
bridge.jpg
道に沿って何軒かの家。屋根の落ちているようなのも多い。それでいて人が住んでいるようでもある。壁の向こう、内庭から犬の吠え声がした。少し大きな建物は建築中の学校だった。鉄橋をくぐったあたり、川沿いの一部は公園として整備されたばかりのようだった。対岸に僧院が見えるあたりになると、もう家はなく、岩のごつごつした斜面が直接、道に迫っていた(ずっと上を鉄道が通っている)。その岩のあたりに野生のラヴェンダーがあった。土の斜面には見当たらず、岩の露出しているようなところだけに、よく見るとずっと上の方まで、点々と株が並んでいた。
町をとりまく荒野のいたるところに生えているセイヴォリーもサントリーナも、葉は小さく硬く、強烈な香りがした。なぜスペイン人たちは料理に香草を使わないのだろう?

Portal.jpg
サント・ドミンゴ教会の前には何度も立った。ポルタルの彫刻をずっと見上げていると、首が痛くなった。細部はむしろ日が当たらない時のほうがよく見えた。いずれにせよ、何回見に行っても、この群像のすべてを見つくすことはできないような気がした。
間口の狭い奥行きの深い書店で、ハントケの Versuch über die Jukebox のスペイン語訳"Ensayo sobre el Jukebox"を見つけて、レジに持っていった。店主に、この本はね、ここソリアが舞台なんですよ、と教える。(いちおう僕のスペイン語は通じたらしい。でも、そのときそれをどう言ったのかすら覚えていない。)知らなかったらしい店主は、しかし顔をしかめて首を振るだけだった。 (スペイン語版の表紙は、本文中にも言及のある、ドゥエロ川べりの古い城壁の肌のイメージだろう。)

サラゴーサ Zaragoza のバスターミナルは、バス会社ごとに、街のあちこちにちらばっている。ソリア行きのバス停は、ある裏通りの真ん中にあった。奥行きの深い長方形のそっけない空間で、左手に売店と荷物預かりがあり、一番奥に切符売場の窓口があって、中には疲れた顔の中年女が座っていた。
教えられて売店と荷物預かりの間の狭い通路を通り抜けると、もう一回り大きな、やはり長方形の空間があって、そこにバスが縦横2台ずつ、計4台、びっしりと停まっていた。

ブルゴス Burgos のバスターミナルは、街中の一つのブロック全体の内側をくりぬいたようなつくりになっていた。つぶれた円形、あるいは角を強く丸めた三角形の空間の周囲に沿って歩道があり、その歩道に尻を向けて何台ものバスが停まっていた。
Busbahnhof.jpg
売店で、ローストされたヒマワリの種を一袋買った。スペイン人たちの、定番のスナック。彼らは、歩きながらでも、片手だけで巧みに殻を割り、口に放り込んでいく。彼らのいたあとには、うずたかい、ヒマワリの種の殻。片手だけで割るのは、どうあがいてもマスターできなかった。

スペインのウェイターは、それぞれにグラスを持った両手を振って歩く。(しかし中身はこぼれない。)

グラナダのホテルでは、朝、向かいの部屋でチェリストが練習していた。ブレーメンのホテルでは、夕方、隣の部屋でヴァイオリニストが練習していた。

    
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