
シャンボール城。Wikipedia より
初級か初級に毛の生えたぐらいのクラスだったはずだが、日本でもちょこちょこフランス語はかじっていたし、ドイツへ行ってからもASSIMIL(当時はまだカセットテープだ)などを使って少しは自分で勉強して、ときどきパリにも出かけていたから、先生にはそれなりにデキると見なされていたようだった。
そういえば、フランス語の期末テストで、あるドイツ人学生のあまりに大胆なカンニングに唖然とした。いや、ほとんど感動した。180度首を捩じって、真後ろの学生の答案を見ていたのだ。それがまた咎められもしなかった。日本の例えば今の勤務校では考えられない。
で、フランス語の先生(美しい人だった)に、あなたはデキるからフランスへ行ってフランス語やったらいいわよ、と言われてその気になり(まるで野原しんのすけである、うっほほーい)、二年間のドイツ滞在の最後は、ちょうど再統一に湧くドイツをさっさと離れて、フランスはアンボワーズ(ダ・ヴィンチの終の住み処だ)のフランス語学校へひと月行った。ホームステイ。


プレシェレン広場の建物のレリーフ
城からの眺め。ドラヴァ川は町の南で大きく広がり、プトゥイ湖の名で呼ばれる。




