カザルスは言っている。
「抑揚は良心の問題です。生活のなかで何か悪いことをしたと気づくと同じように、ある音がよくないと気づくものなのです。悪いことはほうっておいてはいけません」(ウェッバー編『パブロ・カザルス 鳥の歌』ちくま文庫、168ページ)
池田香代子氏がここで「抑揚」と訳しているのは、イントネーションのことだ。
弦楽器のイントネーションのことは、早くからヘマンの本(『弦楽器のイントネーション』竹内ふみ子訳)の翻訳が出されて、比較的知られてはいるが、個々のアンサンブルのケースで具体的にどのようなことがあるのか、あまり詳しい説明はなかなか僕らの視野には入ってこない。
近ごろSchott 社から精力的に弦楽器関連のマニュアル本を出しているゲルハルト・マンテルが、弦楽器のイントネーションに関しても一冊書いている。
Intonation. Gestaltungsspielräume für Streicher
この本の最後のほうの章で、マンテルは、弦楽器同士のアンサンブル、ピアノとのアンサンブル、管楽器とのアンサンブル、チェンバロやオルガンとのアンサンブル、オーケストラ内でのアンサンブルについて、それぞれ3−4ページずつながら、触れている。
ピアノとのアンサンブルでマンテルが強調しているのは、すべて平均率に合わせなければいけないわけではないということだ(分かっている人には当たり前のことだろうけど)。ピアノとのアンサンブルであっても、同じ曲のなかで、どういう箇所かによって、弦楽器は平均率から和声的イントネーションへ、ピタゴラス的イントネーションへと、飛び移ることができるのであって、それこそが、こと音程に関しては、探究しがいのある課題なのだ。
ここでマンテルはベートーヴェンのチェロソナタop.5 Nr.2 から例を引いている(画像)。こういう具体例が、僕などにはありがたい。
アダージョ・ソステヌート・エド・エスプレッシーヴォの4小節目。この4分音符の h を、チェリストは、次の1拍目の c への導音のように感じて高く弾きがちだが、ここはピアノのオクターブ上の h に合わせなければならない。これに対して4つ目の16分音符の h は、まさしく c への導音として、高めに取ってよい。ここではピアノは鳴っていない。
チェロの5小節目最後の8分音符の cis に関してはまた逆で、チェリストは、5小節目の d への導音として高くとりたくなる気持ちに逆らって、低めに押さえなければならない。ここで8分音符というのは和声的なイントネーションを要求するに十分な長さなのだ。この部分を支配しているのはピアノの左手の a であり、さらにピアノの右手の cis も響いている。



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