先日、こども二人を連れて能勢の三草山に行った。
能勢電鉄の山下駅9:30着。9:50の阪急バス(時刻表)に乗り、森下下車。西に向かって道路を少し歩き、右に岐尼神社を見て、左に折れ、山田川と長谷川にかかる橋を渡って、長谷川に沿って、農道と畦道を進む。
先日、こども二人を連れて能勢の三草山に行った。
能勢電鉄の山下駅9:30着。9:50の阪急バス(時刻表)に乗り、森下下車。西に向かって道路を少し歩き、右に岐尼神社を見て、左に折れ、山田川と長谷川にかかる橋を渡って、長谷川に沿って、農道と畦道を進む。
Safari は 3.1 で速度を改善し、動画・オーディオエレメントのサポートや、CSS アニメーションの提案、client-side database storage の実装など、興味深い新機能が見られる。が、Mac OS X 1.5.2 下の Safari 3.1 では iPod touch / iPhone の Safari および .Mac とのブックマーク同期がうまくいかないという問題が生じているようだ。Appleのサポートページに回避方法が記されている。方法は下記の通り。
Kako čas hiti! 月日の経つのが恐ろしく早い。スロヴェニアから帰って来てもう丸2年経ってしまった。「リュブリャーナ日記」として滞在記を書いていた頃、書きかけたまま放置してあった記事がまだかなりある。これからでも、出せるものは少しずつ出していこうと思う。
プレチニクの建築についても、いくつか紹介してきたが、彼の作品はまだまだいくらでもある。さすが「プレチニクのリュブリャーナ」だけあって、リュブリャーナを歩いていると、犬でなくても、いたるところでプレチニクに当たるのだ。関係ないけど、リュブリャーナでは犬の糞を放置していく飼い主が多い。パリほどひどくはないけれど、ちょっと気をつけて歩かなければならない。
ええと、いたるところにあるプレチニクの話。たとえばぼくらの住んでいたアパートのすぐ近くのこれ。
アイロン (1933-34)

非常に細長い三角形の土地に建てられた建物。青空市場のほうを向いた鼻先には旗の掲揚ポールがある。

初級か初級に毛の生えたぐらいのクラスだったはずだが、日本でもちょこちょこフランス語はかじっていたし、ドイツへ行ってからもASSIMIL(当時はまだカセットテープだ)などを使って少しは自分で勉強して、ときどきパリにも出かけていたから、先生にはそれなりにデキると見なされていたようだった。
そういえば、フランス語の期末テストで、あるドイツ人学生のあまりに大胆なカンニングに唖然とした。いや、ほとんど感動した。180度首を捩じって、真後ろの学生の答案を見ていたのだ。それがまた咎められもしなかった。日本の例えば今の勤務校では考えられない。
で、フランス語の先生(美しい人だった)に、あなたはデキるからフランスへ行ってフランス語やったらいいわよ、と言われてその気になり(まるで野原しんのすけである、うっほほーい)、二年間のドイツ滞在の最後は、ちょうど再統一に湧くドイツをさっさと離れて、フランスはアンボワーズ(ダ・ヴィンチの終の住み処だ)のフランス語学校へひと月行った。ホームステイ。
イギリス情報局秘密情報部 (SIS またの名を MI6) が、Mac ベースでアドビCSと Quark XPress が使える人材を募集している。なんで? ともかく、腕に覚えのあるあなた、これで 007 の同僚だ。
他方、先日16日日曜の晩、ホッキョクグマが目印の北ドイツのローゼンダールにある古参 Mac ショップ Arktis には泥棒が入った模様。非常にプロフェッショナルで計画的な仕事ぶりで、事前にドイツテレコムなどのラインを切断しており、何も破壊せず、各種の Mac、iPod、Lacie のハードディスクなどをかっさらって逃げたらしい。
Arktis は近々盗品のシリアルナンバーを公開して、捜査への協力を広く呼びかけるという。
ぼくは Arktis には以前、ボンに住んでいたときに一、二度通販でお世話になった記憶がある。
今日は上ケ原の休耕中の畑にわさわさ生えているペンペン草の花を摘んできて、おひたしにした。以前にも書いたことがあるが、わが家の春の定番。美味。案外知られていないように思う。菜の花を淡く柔らかくした感じ。
この前の春分の日はあいにく朝から雨。10時すぎには、相変わらず曇天ではあるものの、雨は上がったようだったので、下のこどもを連れて池田の五月山(さつきやま)に向かう。ここも、ずっと気になっていながら、今回が初めて。
駅から、関西に多いアーケードの商店街を抜けて、坂道を登り、五月山公園のミニ動物園へ。
コメントができなくなっていたらしい。コメントしようとしてくださっていた方々、どうも申し訳ありません。
いろいろ調べ、いろいろいじったのだけれど、どうもうまくいかない。各種の認証を使った方法もきちんと動かないし、認証なしで captcha だけで通そうとしても captcha の画像が出ない。
どうやらMT4のCAPTCHAが表示されない-Notebook::Hibi no Noteで紹介されているケースかなと思って、プロバイダに問い合わせ中。
さしあたり、何の認証もなく CAPTCHA もなしでコメントできるようにしておきました。SPAM 除けなし、ということだけれども、しばらくはなんとかなるかな。
tsujigaku さんが広島の低床トラムの話を書いていた。ウチのあたりには残念ながらトラムはないのだった。だが、低床バスなら走っている。
日本のあちこちのバス路線で、「ノンステップバス」が導入されている。ドイツ製の車両も少なくないようだ。
なんとなく「ノンステップ」というのは床が低い車のことだぐらいにしか思っていなかったが、そういえば、1998年に一年間、まだ一歳にもならない子供とともに、ボン(ドイツ)に住んだとき、こんなことがあった。ぼくらは自宅近くのバス停で、赤ん坊を乗せたベビーカーとともに、空港行きのバスを待っていた。バスが来て停まると、運転手は、ちょっと待てと言い、何か操作した。すると、バスが傾いて、乗り口と、ぼくらが待っていた歩道との間の段差が小さくなった。へえ、こんなことができるんだ、と思い、感心した記憶がある。
ドイツ初の Mac ホテルができたという話。(出所)
バルト海に浮かぶリューゲン島のビンツにある「ニュンフェ・ホテル」がそれ。この3月15日にオープンしたばかり。
すべてのスイート、アパートメントなど客室に iMac を置き、ホテルのサーバやレイドシステム、ネットワーク関連も Apple 製品、宿泊客に Office をインストールしたノート型 Mac の貸し出しもするし、キッズコーナーには子供用のソフトを入れた Mac が置いてあるという。
カザルスは言っている。
「抑揚は良心の問題です。生活のなかで何か悪いことをしたと気づくと同じように、ある音がよくないと気づくものなのです。悪いことはほうっておいてはいけません」(ウェッバー編『パブロ・カザルス 鳥の歌』ちくま文庫、168ページ)
池田香代子氏がここで「抑揚」と訳しているのは、イントネーションのことだ。
弦楽器のイントネーションのことは、早くからヘマンの本(『弦楽器のイントネーション』竹内ふみ子訳)の翻訳が出されて、比較的知られてはいるが、個々のアンサンブルのケースで具体的にどのようなことがあるのか、あまり詳しい説明はなかなか僕らの視野には入ってこない。
近ごろSchott 社から精力的に弦楽器関連のマニュアル本を出しているゲルハルト・マンテルが、弦楽器のイントネーションに関しても一冊書いている。
Intonation. Gestaltungsspielräume für Streicher
トム・ティクヴァによって映画化された長編小説『香水―ある人殺しの物語』 (文春文庫)
や、モノローグドラマ『コントラバス』
などで知られたパトリック・ズュースキントに「深さへの強迫 Der Zwang zur Tiefe」というたった6ページほどの短編がある。『三つの物語』という短編集の中の一編。
新進画家の女性が、愚鈍で無責任な「批評家」の、「彼女には深さがたりない」という評言に真剣に悩んでしまって制作ができなくなり、そのまま潰れていき、死んでしまうという話。皮肉でシニカルな、いつもながらのズュースキント。全体としては喜劇的な色合いが強い。(たぶん日本語訳はまだない。英訳は出ている。)
Patrick Süskind, Drei Geschichten und eine Betrachtung. Diogenes, 1995
批評される側に立って、同情することもできるし、あまりこの類の批評をまじめに受け取らないようにしようという教訓として読むこともできる(「コンクールの審査員なんてなにさ」などなど)。
批評する側に立って、その責任を思い起こさせ、軽率な発言を戒めるものとして読むこともできる(「われわれは勝ち誇っている者だけを批評しよう、これから育つ者に対しては慎重でなければならない」などなど)。
でもたぶんこれらの読み方のどれも、ズュースキントにとってはどうでもいいものだろう。映画 Vom Suchen und Finden der Liebe の台本にも表れていたが、基本的に、ズュースキントの関心は、それぞれの主観から出られない人と人の間のディスコミュニケーションから生じる悲喜劇に向けられている。主観の殻やコミュニケーション不全の治療が可能だとも必要だとも思ってはいないフシがある。言ってみれば第三者のシニカルな愉しみ。たぶんそこが、ズュースキントの魅力でもあり、いやらしいところでもある。
Leopard の「辞書」アプリ (Dictionary.app) 用のドイツ語-英語辞典のデータプラグイン、ドイツ語シソーラスのプラグインが登場した。
BeoLingus German-English
OpenThesaurus German
独英/英独辞典はケムニッツ工科大学の BEOLINGUS のオンライン辞書のデータが元になっている。9万語以上あるらしい。そういうインデックスの付け方になっているのだろう、類義語が一気に表示される(右図参照)。また、独→英だけでなく、英→独でも引ける。
ドイツ語シソーラスは OpenThesaurus のオンライン辞書データが元。4万4千語以上あるらしい。
いずれもフリー。やったね。
# その後、dict.cc の独英/英独データを「辞書」アプリで使えるようにしたプラグイン、別バージョン(?)の OpenThesaurus プラグインも登場した。
なお、すでに触れた羅英辞典、中英辞典のほか、英語-アラビア語辞典のプラグインも出ているし、タイ英辞書データも使えるようだ。今後も増えていくことだろう。楽しみ。
ヴィオラを一から始める人のための教則本で、初級から中・上級まで系統立ったコースになっているものは、現時点では、スズキ・メソッドの全八巻のこれがほとんど唯一ではないかと思われます。スズキのヴァイオリン教本をヴィオラ用にアレンジして、アメリカで制作されているもので、スズキの本家の日本国内では出版されていません。ヴァイオリン教本と重なる曲が多いですが、ヴィオラ独自の曲も加え、よく出来ていると言えます。
楽譜専門店などでも手に入りますが、国内で購入する場合は、おそらくアマゾンが一番安い。ところが、残念なことに、日本のアマゾンの商品表示は不親切で、どれが何巻なのかが分からなくて往生します(表紙の画像がある場合は、そこに書かれた Volume 1 などの文字で見分けがつきますが、画像がない場合も多い)。そこで、ご参考のため、日本のアマゾンの各巻へのリンクを以下に並べておきます。(実はここでISBNを調べてアフィリエイトリンクを張っただけ。)
Suzuki Viola School: Viola Part, Volume 1
Suzuki Viola School: Viola Part, Volume 2
Suzuki Viola School: Viola Part, Volume 3
Suzuki Viola School: Viola Part, Volume 4
Suzuki Viola School: Viola Part, Volume 5
Suzuki Viola School: Viola Part, Volume 6
Suzuki Viola School: Viola Part, Volume 7
Suzuki Viola School: Viola Part, Volume 8
なお、収録曲などは、出版元 Alfred Publishing が出している Suzuki 教本の PDF カタログをご参照ください。
この年末年始はなんだかばたばたしていて、年賀状すら出せずじまい。そのさなかにMovableType を 4.0 にアップデートしたらハマってしまって、まともに表示できなくなってしまいました。そのまま放ったらかしていたのですが、最近になってようやく修繕に着手。4.1 にさらにアップデートし、「小粋空間」さんのテンプレートをお借りして、どうにか復旧。まだ一部の画像が表示されない不具合がありますが、ぼちぼち直していきます。
その間、こちらにちょろちょろと書いておりました。よろしければご覧ください。
甲野善紀氏の本数冊(荻野アンナ・甲野善紀『古武術で毎日がラクラク!―疲れない、ケガしない「体の使い方」』なんてのも含めて)に続いて、『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』 (光文社新書)
を読む。甲野式の動きを取り入れて成果を挙げているスポーツ界の話をスポーツライターの織田淳太郎がまとめた本だ。
ひとまず目に付いたのはこんなポイントだ:
ボクシングでは、「拳を内側に捻り込むようにして打つべし」と、よく言われる。劇画『あしたのジョー』でも、丹下段平が矢吹丈にボクシングの初歩段階として教えていた。 これは、パンチの威力が増すという理由で指導されるのだが、実は拳を捻り込むことで、肩の「分離」も促されているのである。それによって、腕が瞬間的に長くなり、パンチのスピードが加速され、インパクトの衝撃がそれだけ大きくなる。さらに、捻り込むことで、上腕の筋肉線維のラインが真っ直ぐに伸び、力をよりダイレクトに拳に乗せることができるという利点もある。(43)
これはおそらくボクシングの「常識」(ぼくは知らなかったが)なのであって、ことさらに「ナンバ」ではないが、ダウンボウで弓先へ行くときの右腕の動きと一致する。その際も、手は内側に捻り込むようにして手首が下がり、肘が前に出て腕がまっすぐ伸びる。だからこのパンチの動きもよく理解できる。(この動きが「井桁崩し」とも重なり合うことは前に触れた。)
ではヴァイオリンを弾く場合の左腕はどうなのだろう?
「実は腕は肩からついているのではない。腕がついているのはさらに肉体の奥、すなわち鎖骨と胸骨の間にある胸鎖(きょうさ)関節からだ」(27)という認識は、(たとえばアレクサンダー・メソッド系の書物を通じて)以前から持っていた。だが、その意識を右腕にはある程度生かせているつもりでも、左腕のその点に関しては等閑に付してきたところがあった。
ヴァイオリニストの左腕は、つねに肘のところで曲がっており、また左手も、ネックの右側から楽器に接する以上、内側に、つまり左手のこの場合時計回りに、捻ることはありえない。(ネックに左手指を正しく置いていくためには、逆のひねりがむしろ必要で、ほんとうの初心者にはこれが案外難しいようだ。)
おそらく、上の記述に言う「肩の分離」ということが、左腕でも重要になってきそうな気がする。「肩甲骨と上腕骨の分離感覚」(30)とも言われている。「古武術では"割れる"という表現を使う」が、これは「上腕と肩を独立させて、別々に使う」ことと同義だという(40)。そもそも普通は利き腕ではないうえに、遠く伸ばすよりも折り畳んでいく動作が多くなる左腕は、この点の訓練が足りず、左肩が固まってしまっている奏者、つまり左腕のシフティング(ポジション移動)に鎖骨から肩にかけての部分が全く使えていない奏者(ぼくはたぶんそうだ)が多いのではないか。一旦楽器を置いて左腕を伸ばし、パンチングの動きを元にして左肩も柔軟にしていけば、左腕全体の動きにプラスになりそうな予感がする。
パンチや「投げる」動作は、体幹部から「投げる」感覚が重要であり、上腕と肩の「分離」感覚はそのために役立つという。そして体幹部から投げる感覚を伸ばすには肋骨を意識的に変形させるストレッチや、肩甲骨を柔軟に動かすストレッチが有効であるという。これも演奏のためにそのまま使えそうだ。
謙虚ということについて考えていた。
ええっと言われるかもしれない。身近で、口の悪い人や勘違いしている人には、おまえの辞書に謙虚なんて単語載ってるのかよ、なんて言われかねない。
この言葉自体は、たしかにぼくはあまり好きではない。だがその理由は、安易に使われすぎてすり切れており、空虚な標語と化してしまう可能性が高いからだ。たんに卑屈に縮こまった姿勢を導き出す可能性もある。それがどう機能するかはポワン・ド・キャピトン、つまり状況や文脈による。
少なくともスキルや知識に関することでは、謙虚という言葉に意味があるとすれば要は、自分のまだ知らないもの、分かっていないものがそこにあるのではないかと予感する能力、そしてそれを探究していこうとする好奇心なのではないだろうか。いずれにしても、こうした定義を考えて、それを短縮する意味でしか、謙虚とか、そんな言葉は使えない。たんに謙虚さが必要だ、と口にすることには意味がない。
なにしろテレビは10数年来ろくに見ていないものだから、一部そうしたメディアも上手に利用して知られてきていたらしい甲野善紀氏のこともほとんど知らなかった。
とりあえず手に取ったのが文庫本3冊。
またたとえば、「表の体育」と「裏の体育」の相克に関する洞察は、平均律と均等拍に縛られた「表の音楽教育」の問題に重ね合わせてみることもできる。
拍節のことに話を戻すと、甲野氏の研究は(乱