通訳の仕事が終わった。ウィーンの音大のR先生の、関西での2回の公開レッスン。
1回目は10日ほど前。音楽学部を持つある大学のホール。前半は先生の小リサイタル、後半が優秀な学生二人のレッスン。先生と生徒の間のコミュニケーションはうまく手伝うことができたのではないかと思った。やってみて改めて感じたのは、この仕事は、ドイツ語が多少できても、音楽や楽器についても相当以上に分かっていなければ無理だろうということだ。同じ先生の東京でのレッスンでは通訳降板劇があったとも聞いた。
先生と生徒の間の媒介はできたと思う。のだけれど、公開レッスンの場合、もう一つ、そこで語られていることを客席の観客・聴衆の方々に分かりやすく伝えるという責務があって、一回目はそちらの方向にはあまり神経が行っていなかった。
この1回目は、かなりの大きさのホールで、とりわけ人の声は、マイクを介しても、明瞭に出さなければ伝わりにくい空間だったのだとも、あとから聞いた。そういう会場でのこういう仕事は初めてだったから、「至らぬ点」が多々あったわけだ。どちらかというと、黒子っぽく控えめに出てきてさっと引っ込もうという方向に気が行っていた。しかしそれだと、客席の人々にはよく伝わらない部分が多くて、うまくなかったらしい。主催側に噛んでいる世話役の方のお一人からは、takuyaさん自身がレッスンをしているかのように話してくださればよかったんですよ、とアドバイスされた。
大昔、スメタナ四重奏団メンバーの公開レッスンを東京で聴きに行ったことがある。場所は忘れたが、かなり大きなホールだった。通訳は黒沼ユリ子さん。今から考えると、チェコ語、弦楽器という組み合わせでは最善の通訳だっただろう。客席のぼくらは特に通訳を意識することもなく聞かせていただいた。それだけ通訳も上手だったということだと思う。これもかなり前、京都の小さな会場で行われたアマデウス四重奏団の生き残りメンバーの公開レッスンを見にいったこともあるが、そのときは公開レッスンの通訳固有の問題以前に、通訳の女の子のドイツ語がまるでダメだった。
初めてだからという言い訳が効かなくなる2回目。1回目の経験が活かせるし活かさなければならない2回目。今度はヴァイオリンの先生たちの協会が主催で、小4から高1までの子どもたち7人。みんな難しい曲をよくさらっている。一人30分〜45分で、間に短い休みを入れたとは言え、午後1時から6時近くまで。R先生にとってもぼくにとってもかなりの持久戦。1回目の経験は多分活かせたのではないかと思う。生徒に対して日本語にしてあげる言葉が、できるだけそのまま客席にも理解されるものになるよう、あるいは補足する言葉を増やすよう心がけた。一回り小ぶりなホールだったこともあって、客席側に声が聴き取りにくくなるということもあまりなかったようで、わりあいご好評をいただいていたようだ。
僕は別に通訳のプロでもなんでもない。大昔、学生としてボンにいたとき、ベートーヴェンの生家の付属小ホールを建てる話があって、まさにバブル期だった日本から資金集めが行われた(今では考えにくい)。その日本側窓口がD通で、その担当が東京の大学時代の音楽仲間だった。それで頼まれて彼とベートーヴェンハウスの館長さんとの間の通訳をやったことはある。ホールは無事建ったのだから、それなりの資金が集まったのだったのだろう。他にもほんの数件、いずれも学生時代のほんのちょっとしたバイトだけだった。
今回の2回は、もちろん疲れたけれど、まあ楽しくやらせていただいたし、音楽的にも当然勉強になった。
そしてこういうレッスンの通訳という仕事。こういう仕事一つとっても、そのスキルの奥の深さには計り知れないものがありそうだ。



コメントする