スターバッ×スやド×ールのおかげか、急速に市民権を得てきた感のあるエスプレッソ。フランスやイタリアでカフェと言えばエスプレッソのことだけれど、少し前までの日本ではまったく知られていなかった。エスプレッソ用の小さなカップもほとんど出回っていなかった。(日本でデミタスなどと呼ばれることのあるカップだが、これはどうも「英製仏語」くさい。demitasse という単語(半分demiのカップtasse)は英語の辞典には載っているが、フランス語の辞典では出てこない。un demi と言えばビール1杯のことだ。彼らにとってはカフェ=エスプレッソであり、あのサイズが標準だからだろう。少なくとも、普通に使われる表現ではないようだ。)

今はロシア上空を飛んでヨーロッパまで11〜12時間だけれど、10年ちょっと前までは、北回りと呼ばれるアンカレッジ経由か、南回りと呼ばれるシンガポール、香港など経由のルートか、モスクワ経由のアエロフロートぐらいしか、日本〜ヨーロッパを結ぶ便はなかった。17〜18時間かかった。(さらに昔の小沢征爾や、二葉亭四迷(古すぎ?)は船でマルセイユに上陸したようだけれど。)僕が1988年に(これももはや相当に古い)初めてドイツに行ったのは、アンカレッジ経由だった。成田を発ってたいした時間が経っているわけでもないのに、アンカレッジに降り立ったとたん、空港のうどん屋(そういうのがあったのだ、今もあるのかな)に駆け込む日本人たちが大勢いたのにびっくりした。
ヨーロッパへの直行便が普通になる直前の時期、94年頃か、たしかシンガポール経由でフランスから帰ってきたとき、トランジットのシンガポールの空港で、いかにも「卒業旅行」帰りの大学生みたいな女の子たちがしゃべっていたものだ。(そんな「卒業旅行」みたいなものが行われるようになったのもそのほんの少し前からだった。)「フランスのコーヒーはな、めっちゃ少なくてめっちゃ苦いねん!」…あのな、それがエスプレッソだ。フランスに行くならそれくらい分かってて行けよ、と突っ込みたくなるのをこらえる。今はもう、こんなコたちはいないことだろう。
日本の喫茶店だのファミレスだののウェイター、ウェイトレスは何かというと「〜のほう」「〜になります」という妙な言い回しをするいかにもシロートな学生バイトばかりだが、フランスのカフェのギャルソンたちはプロだ。日本ではそういう仕事が馬鹿にされているきらいがあって残念なことだ、と作家Rとそんな話をしていたこともあったような気がする。カフェのギャルソンたちは、実にきびきびと動く。いかにも忙しそうに振る舞うのがうまい、という見方もできそうだけれど。
ほとんど知られていないと思うが、その頃、90年代初頭、日本の某食品メーカーがインスタントのエスプレッソを出していて、そこらのスーパーに置いてあった。インスタントにしては「飲める」ものだったので、ウチでは好んで買っていたのだが、あるときから店で見かけなくなった。メーカーに直接電話して尋ねたら、製造中止になったという。時期尚早だったということらしい。(最近また出しているようだ。)
ドイツの人たちのコーヒー好きは、バッハのカンタータでも知られる通り、筋金入りだ。
そのドイツのコーヒーの淹れ方は、日本で飲まれるものに似ている。基本的にフィルターコーヒー。メリタはドイツのメーカーだし。
ドイツのボン在住で仲良くしているナポリ出身の男がいて、しかしこいつが絶対ドイツ風にいれたコーヒーを飲まない。胃に悪いというのだ。何があろうとイタリア式のエスプレッソかカプチーノ。彼は朝はキッチンでさっといれたエスプレッソ(と言うと文句を言う。エスプレッソじゃない、これがカフェだ、と)を立ったままさっと飲む。ここにあるようにアメリカンよりもエスプレッソのほうがカフェインは弱いというのが本当だとすると、あのナポリ人の、ドイツコーヒーは胃に悪いという信念は裏付けられていることになる。そういう記述はペッキィ、スレイヴン『エスプレッソ―カルチャー&キュイジーヌ [クロニクル・ブックス日本語版]』 (フレックス・ファーム、1995)にもある。日本でエスプレッソが広く飲まれるようになる以前に出版されて、いまも生き残っている洒落た本だ。
「エスプレッソは風味や香りが強いため、カフェイン量も多いに違いないと勝手に思い込んでいる人が多いのですが、缶詰のコーヒー用に使われる安物のロブスタ豆で作ったコーヒー一杯分と比較すると、その含有量は半分程度、もしくは3分の1にすぎません。」(23ページ)
逆の経験を、つい1,2年前の日本で、した。生麺をウリにしていた近所のあるスパゲッティ屋。カウンターがメインの小さな店。実は三宮だか岡本だかの喫茶店くずれの店主だった。食後にエスプレッソを頼むと、延々とエスプレッソを否定するおしゃべりを始めた。あれでは豆の味が損なわれる云々。拝聴しながら普通のコーヒーを頼む。確かに、日本の珈琲店は独特の発達をとげてきて、キリマンジャロがどうのモカがどうのという蘊蓄が多い。それはさらにずっと空疎に薄められて、現在の缶コーヒーの無数のバリエーションにまで受け継がれている。家庭で気軽にコーヒーが飲まれるようになった今、珈琲店というのはド×ールみたいなところを除いて斜陽らしい。このパスタ屋は、しばらく後に閉店した。生麺は悪くなかったのだが。
ドイツにいながらフィルターコーヒーを頑として飲まないイタリア人と、エスプレッソを端から否定して蘊蓄を垂れ始める日本のパスタ屋のおやじとでは、どちらかというとイタリア人の方に肩入れしたくなる。
今でも、そこらのイタリアンやフレンチを称する料理屋に行って、安いセットメニューを頼むと、食後の「コーヒー」はあっても、エスプレッソはないところが多い。イタリアンだのフレンチだのを称していてそれはどうなんだろう? 少なくとも食後に合うのはエスプレッソだという気もするのだが。
こだわり、という言葉には違和感がある。何か妙に気取った文脈で使われることも多いけれど、第三者的に使われる場合(あなたは…にこだわりがあるのよね)は、要するに普通に見ればどうでもいいことに拘泥してるという倍音が伴う。あたしはどうでもいいけど…ということだ。本人が使っている場合(ぼくは…にこだわりがあります)は単なる馬鹿である。つまりは自分が価値あるものと考えているものの価値を伝えることに失敗していることを表明していることになるからだ。それに「個性」なんて言葉がひっ付けられると笑い転げるしかない。きちんと価値を伝えるか、たんに「自分はそれが好きだ」と言うにとどめておくのが妥当だろう。
ありがたいことに現在の日本では選択肢が広がり、少なくとも自宅では自由だ。エスプレッソメーカーはいまではどこでも安く手に入る。深煎りされた豆や粉も入手しやすくなった。朝はフィルターコーヒーを飲み、食後はエスプレッソを淹れることが可能だ。もちろん午後にせんべい齧りながら緑茶を飲むこともできる。「雑種文化」(加藤周一)の特権か。



takuya さん
こんにちは。久しぶりにお邪魔しましたら、エントリーが増えていました~。テンプレも新しくなさったんですね。コーヒーの話題、takuya さんも書いていらしたんですね。楽しく拝読いたしました。私が初めてドイツへ行きましたのは1984年。takuya さんとほぼ同じ時期ですね(4年前になりますが…私ったらオバチャン)。そのときはなんと南回り!24時間かけてドイツに到着しました。さすがに閉口し(しかも食事攻めで胃が痛くなりました)、翌年に行ったときはアンカレッジ経由で行きましたが…。
ドイツのコーヒーも美味しいですが、フランスやイタリアの深煎りコーヒーが忘れられず、帰国してからもあの豆を探しまわりました。今でこそ店頭で様々な種類の豆を買えますが、80年代は今のような種類はなかったですよね。懐かしい思い出です。
ありちゅんさん、こんにちは。
僕も行った時点でかなり歳を食っていましたから、いまや立派な?おじちゃんです。
そうですね、当時は日本では深煎りはあまり売っていなかった。でもそのころにインスタントのエスプレッソがあったんですよ。