ボンナー・シンフォニエッタは消滅していたから、オケは前に書いたようにもっぱら大学オケで楽しんだが、トーマスとその仲間たち(きかんしゃではない)とは、トーマスの家でときどき室内楽をやった。
今度のトーマスの家は、ボンの中心から市電=地下鉄で30分ほど、その終点、ライン対岸のバート・ホネフにあった。小さな町だが、ビルケンシュトックのおかげで今や日本でも少し知られた名になっているのかもしれない。あのサンダル会社の本拠地なのだ。98年はしかしまだ爆発的に売れ出す前で、そんな会社があることすら、全然目に立たなかった。一応バートというのだから保養地で、ヴァカンス向けのホテルもある。ライン河畔のニース、というのはちと僭称が過ぎるのではないかと思うが、ボンのすぐ近くでありながら、ゆったりとした時間が流れている気がする。
トーマスの家は、その町はずれの、ラインの河畔はすぐそこの、小さな3階建ての、ちょっと変わったウチだった。
トーマスは、これも前に書いたように、何をどうしたのか、ザンクト・アウグスティンの音楽学校の校長の職におさまっていた。決してやり手タイプではないけれど、ほどほどの幸運に恵まれる質なのかも知れない。
これもまた偶然だが、ちょうど高校からの同級生のSが外交官としてボンにいた。Sは中学生の時初めて弦楽四重奏を試みたときもいっしょだった(その頃はSもヴァイオリンを弾いていた)。無口な男で、高三の時、理系受験のクラスにいたと思ったら、いつの間にか一橋大に入って、ヴィオラをやっていた。僕が知る限りの最高のヴィオラ弾き(バシュメットがなんだ)。F先生からも眼をかけられていたようで、彼が音楽の道に進まなかったことにいたく落胆されたと、のちに先生ご本人から伺ったことがある。僕が彼に一年後れて大学生になってしばらくしてからは、ほぼ固定したメンバーの弦楽四重奏団を組んで、音楽していた仲だった。4年でさっさと大学を出て目立たない会社に就職し、さっさと結婚した(結婚式には新郎自身のヴィオラでたしかラヴェルの弦楽四重奏をやった。無茶である)と思ったら、いつの間にか会社を替わっていて、そして二度目に転職したときは外交官になっていた。そのSが、僕の一年間のボン滞在のとき、ちょうどボンの大使館にいて、彼もトーマスの家の音楽会のメンバーになった。
1年足らずの間、結局それほど頻繁には集まれなくて、練習してどこかの舞台に上げる、というところまではいかなかった。なにせ中心がベースの(きかんしゃではない)トーマスだから、ベースの入る曲。ドヴォルザークの五重奏なんかを弾いてみていたように記憶している。
その後、Sは、アフリカ内陸の国に赴任した。楽器はどうしているんだろう?



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