ずいぶん前に「ドイツの大学オケ・アマオケ(5)」で少し触れたけれど、最初のボン滞在から10年後の1998年、今度は1年間だけだが、再びボンで暮らす機会を得た。そしてそのときに、ボン大学のオーケストラ、collegium musicum に舞い戻った。指揮者は世代交代していた。改めて学期初めのオーディションに出かけていく。以前、このオケで弾いていたんです、と言うと、ならオーディションは要らないわけだね。でも一応弾きましょうか。うん、そうしてください。というようなやりとりがあって、10年前と同じ部屋で、たしかバッハの無伴奏ソナタ1番の第一楽章を弾いた。

ボン大学
これも前にも書いたことだけれど、ドイツの大学生というのは、近年残念ながら変化のきざしが見られるとは言え、7、8年在籍していることはざらだから、特に年齢の点で気後れを感じることもなかった。なんと10年前のメンバーでまだ残っているやつもいた。指揮者の先生は今度は僕をセカンドのトップサイドに座らせた。この間に日本のアマオケでのコンマス経験も増えていたし、僕も少しはましな腕になっていたのでもあっただろう。
それでまた1年間、楽しい時を過ごさせてもらったのだけれど、これ自体もうかなりの過去の話になってしまって、曲も何をやったんだったかな、たしかブラームスの3番とか、バーンスタインのボーイソプラノ・ソロの入る曲などをやったような気がする。
このとき、ファーストヴァイオリンに、周囲から Taro, Taro と呼びかけられている男の子がいた。しばらく気づかなかったのだが、つまり「太郎」だった。母親が日本人。右腕の動きが、まわりと違い、独特の固さがあって、日本の音大などでヴァイオリンをやっている女の子あたりにありそうなボーイングとそっくりだなあと思っていたら、日本人のお母さんがヴァイオリニストで、そのお母さんに習ったということだったようだ。見事に学び取り、写し取っていたということなのだろう。
そう思ってみると、ちょっと不思議な容貌だった。いや、魁偉とかではもちろんなく、端正は端正なのだけれど、最初 Taro が太郎だと気づかなかったように、ドイツ人学生たちの中ではとりたててハーフ(ダブル?)っぽい顔立ちではなかったのだ。そして、そう思ってみると、彼はまた逆に日本にいて日本人学生たちの中にまじっていても、目立たないだろうなと思えた。そういう絶妙で不思議な混淆がありうるのだなと改めて知った。(そういえば、小松左京のショートショートに、地球上の人類がどんどん減っていって、減るだけ減ると国際的な通婚が当然となり、最後のただ一組となったカップルから生まれた子どもは、肌が白くて黒く、背が高くて低く...というような作品があったっけ。)
韓国人の女子学生も二人ほどいた。と言っても、どちらもドイツで生まれ育ったいわゆるネイティブだった。かつては、この大学にいる韓国人といえば韓国からの留学生に決まっていた。つまり、このときまでに、軍政時代の韓国から出てドイツに渡った両親から生まれた子どもが、大学生となる年齢に達していたわけだ。時の流れを、時代の動きを、感じた。



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