言葉というのは実際「使いよう」だ。外国語を学んでいて、こんなセリフ、使うかなあというようなつまらない文でも、やっぱり「使いよう」なのだ。そう思ったのは、学生時代、ボンの大学にいたときのこと。英語の I love you に対応するドイツ語が Ich liebe dich であることを知っている人は日本にも多いかと思う(わざわざ英語を引いたのは、対応する日本語がその「翻訳」以外にないからだ)。教室でも、まあきみたちがこのセリフをドイツ語で使う機会はあまりないかも、とか言いつつ教えたりするのだけれど、実はこれも使いようなのだ。

ボンの大学にいたときのこと、友人のギュンター(という名前にしておこう。ドイツ語表記なら Günther)と、学食に昼食に行った。選んだ料理をトレーに載せて、空いたテーブルに向かう途中、ギュンターはよそ見をしていて、正面から空のトレーを捧げて歩いてきた女の子にぶつかってしまった。彼女のトレーはあやうく床に落ちて食器が散らばるところだったのだが、持ちこたえた。ギュンターとイタリア人らしき彼女は知り合いだったらしい。その時彼女が彼をキッと睨みながら言ったセリフが、Günther, ICH LIEBE DICH!
直訳─するまでもないかもしれないが─すれば、「ギュンター、愛してるわよ!」。うまいなあと思った。言葉自体はまったく「状況に則した」ものではないにもかかわらず、すべてを言い尽くしている。もしかしたら、イタリアでも Ti amo! をこんなふうに使うことが案外多いのかもしれず、彼女はそれをドイツ語に「直訳」しただけかもしれない。それでも、これは僕にとっては思いも寄らない「用法」で、感心したし、コトバってのはこういうものなんだ、とその時改めて思いましたね。ギュンターはひたすら恐縮していた。
外国語の初歩の段階で習うセリフというのはえてしてつまらないものだけれど、こんな「用法」まで考えながら学んでいけば、少し面白くなってくるかもしれない。



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