昨夏、TRAVELLING BY STEAM TRAIN ALONG THE BOHINJ RAILWAYのツアーに乗って、まだそのことを書いていなかった。蒸気機関車の牽く列車でボヒンを通ってソチャ川方面まで行くツアー。6月中旬から9月中旬にかけて8回ほど行われる。

「博物館列車」(ツアー会社のサイトより)
これほどサービス精神旺盛なツアーもあまりないのではないかと思う。
昨夏、TRAVELLING BY STEAM TRAIN ALONG THE BOHINJ RAILWAYのツアーに乗って、まだそのことを書いていなかった。蒸気機関車の牽く列車でボヒンを通ってソチャ川方面まで行くツアー。6月中旬から9月中旬にかけて8回ほど行われる。

これほどサービス精神旺盛なツアーもあまりないのではないかと思う。
半年は短い。こんなタイトルにしたら、書くべきリストは無限大だ。スロヴェニア国内の旅に限っても、行っていないところだらけだ。カルストも今回は歩けていない。スロヴェニアの最高峰トリグラウ(トリグラフじゃないってば)は実はかつて東肩の小トリグラウ Mali Triglav までしか登っていないので、その主峰をきわめたいところだったが、それもコブ付きで夏が天候不順だった今回は到底無理だった。
ジジェクは今のアルゼンチン人の奥さんとの間に子供ができて、ほとんどあっちに行っていると聞いた。だからリュブリャーナでお目にかかれるとは思っていなかったが、いい機会だからここで少しじっくりラカンでも読みたいと思って、Folio 版のエクリと英訳を持参した。それも全然ダメ。せめてズパンチッチ(ジュパンチッチじゃないってば)にでも会っておくのだったかな。
スロヴェニア語の習得が思うように進まなかったことは言わずもがな。
リュブリャーナを離れる直前、やはりFさんに連れて行っていただいたのがGostilna Pod Rožnikom。「ロージュニク山麓亭」とでも訳すか。(こちらのページからは英語ドイツ語のページにも行ける。)しかし古くからあるこのレストラン、リュブリャーナでは「チャド」 Čad の名でのほうが通りがいいようだ。

リュブリャーナの街の西側、ティヴォリ公園の背後の緑豊かなロージュニク山の裏手の山懐の、かなり大きな店。大きいけれども、居心地はとてもいい。
セルビア系のようで、ここでも〜チッチを安心して注文できる。
スロヴェニアに行ったら、安くておいしいワインを日本にも送りたい。それにはどうすればいいか。
知人の日本人の関係者で、大きなスーツケースにワイン24本を放り込み、そのまま空港のチェックインで預け、日本の税関も素知らぬ顔で通り抜け、かつボトルはすべて無傷だった、という強者のおばさまの話も聞いたが、こちらはそこまで剛胆ではない。
日本にスロヴェニアワインがなかなか入らないのは、国の知名度の問題が明らかに大きい(品質から言って、なぜ南米や南アフリカのものが輸入されてスロヴェニアから入ってこないのかは理解しがたい)が、手軽な運送方法がないこともあるのかもしれない。
リュブリャーナ滞在最終日の今日、日差しは弱いものの、幸い雪も雨も降っていなかった。昼過ぎまでアパートの近くからせっせと小包を発送。昼食は burek で簡単に済ませる。午後3時、家主夫妻がやってきて、まだ払い込みが済んでいない光熱費を計算し、それをさっ引いた分の敷金を返してくれる。
今晩一晩は市内のホテルに。家主はわれわれの荷物を見て、ホテルまで運んでくれた。感謝。

カムニクはリュブリャーナの北東23キロ。ツーリズムの点では、現在は、街自体への関心からより、ここから先の Velika Planina やカムニク・アルプスへの拠点(あるいはたんなる通過点)としてしか意識されないのかもしれない。古い街というよりは古ぼけた街だ。それでも、丹念に見て歩けば、けっこう面白いものが見つかりそうな予感を抱かせる街だ。
「小さな城」から見る町並。
残念ながら北の山々は雲に隠れている。
カムニク(「石」の意)は、中世を通じてリュブリャーナやクランとクランスカ地域の経済的・文化的な覇を競った。何世紀もの間、トゥヒン谷 Tuhinjska dolina を通って東のコロシュカやシュタイエルスカ地方に向かう道を押さえて通商の鍵を握っていたが、この道が1600年頃南よりのトロヤーネ峠 Trojane 経由になってからはルートを外れてしまい、街は深い眠りに落ちる。19世紀末にここを終点とする鉄道がリュブリャーナから通されて、少し目を覚ましたのだが、今はまた静かにまどろんでいるように見える。
NUK と言えば、そう、機能、感触ともにママの乳首に一番近いNUK(ヌーク)の乳首なら、初めてのママでも安心です...ってそれはドイツのベビー用品メーカー。
NUK北面の入り口NUK という呼び名はどちらかというとベビー用品のほうにしっくりくるような気もするが、リュブリャーナでは国立・大学図書館のこと。Narodna in Univerzitetna Knjižnica の略称だ。
簡素な湿地の教会とは対照的にモニュメンタルなプレチニク作品が、リュブリャーナ中心部にあるこの国立・大学図書館。しかしほぼ並行して造られたこの二つの建築は、実はたいへん似通っている。
ドイツの出版社が出しているガイドブック Marco Polo シリーズは、コンパクトで使いやすい。その巻末にはつねに、"Bloß nicht!" というコラムがあって、その国/地域で「これだけはやってはいけない!」という注意事項が書かれている。国や地域によってはかなり面白いものもあるのだが、"Slowenien" スロヴェニアの巻のそれは比較的おとなしくて、二番目が「無灯火での走行」、三番目が「不十分な装備で山に入ること」、4番目が「スロヴェニアのアイデンティティを軽んじること」となっている。

無灯火で走ってはいけない、というのは少し説明が要るかもしれない。スロヴェニアでは、日中もロービームでヘッドライトを点けていなければならない。バックのときに後退灯を点けなければならないのはもちろん、追い越しの際には必ずウィンカーを使わなければならない。(もっとも、最近は日中のヘッドライトが減った気がする。法が変わったのか?)
そして一番目が「ユーゴ料理を注文すること」。
結局引っ越しには郵便を使うことにした。せっせと箱を詰めて、さあ、今日のうちに大半を持って行こうと思ったら、ひどい雪で断念。小さな郵便局が比較的近くにあるのだが、抱えて一個一個持って行こうというのだから、これでは身動きがとれない。結局引っ越し作業は週明けのぎりぎりまで持ち越しそうだ。
ボンから帰る時はヤマト運輸に依頼した。ここスロヴェニアには日本の運送業者はどうやら入っていない。日本からこちらへ輸送する海運業者はあるらしいのだが、なんと片道。というか、地球を一周しているんだそうで、こちらから日本へだとアメリカを回って行くことになってしまう。
さて、今のアパートのネット接続は今日で解約になるので、数日はこのブログも更新を休むことになるかもしれません。(←勘違い。解約は14日付けになってました。惚けてる。)
ここで、このブログでとり上げたもので、その後変わってしまったものをリストにしてみましょう。(すでにブログの中で変化自体について触れたものもありますが。)
こっちに来るときに、オーストリア航空を使ってウィーン経由で来た。日本からリュブリャーナへの直行便はないから、普通、ウィーンやフランクフルトなどから乗り継ぎになる。ヨーロッパ内の中継地からはいずれも一時間程度。
チケットは中継地の航空会社の名前で購入できるが、いわゆる共同運行便で、リュブリャーナへの実機は(たぶん)みんなスロヴェニアのアドリア航空のもの。ずいぶん前のエントリで、大昔のリュブリャーナで筑波大のS先生にお会いした話を書いた。昨秋の初め、筑波から一団の先生方がリュブリャーナに講演にいらっしゃる機会があって、そのあとB先生のお宅で開かれたパーティに僕も招いていただき、そこでS先生と実に十数年ぶりの再会を果たした。でもS先生は最初は僕のことが思い出せないようだった。

ヨーロッパのメジャーな街にはたいてい中国(ったって広い)韓国日本東南アジア諸国の食材をごっちゃに売っている怪しげな(でも便利な)「アジア食材店」があるけれども、リュブリャーナにはそれらしいものは見当たらない。もしかしたら僕が知らないだけかもしれないが。
で、日本的な食材が手に入るところとしては、いわゆる「自然食品」店がまず第一に挙げられる。ドイツで Bio-Laden というやつ。スロヴェニアでも biotrgovina。
スロヴェニアの街中や、幹線道路脇には、相当な数の巨大ポスター用スペースが設置されている。一つ一つが大きい上に、リュブリャーナ周辺だけでも大変な数にのぼるのに、あまり貼り替えているシーンに行き当たらない。それが一夜にして貼り替わっているのだから感心する。

前々から、そういう媒体でのセクシュアリティやヌードに対するスロヴェニアの閾値は低いというか、許容範囲が広いことには気づいていたが、最近そういうスペースのいたるところに掲示されている Playboy 誌(スロヴェニア語版)のポスターはなかなかのもので、ここでネタにしたいと思いながらどうとり上げようかと考えているうちに、The Glory of Carniola に先を越されてしまった。
リュブリャーナの南方に広がる湿地の真ん中に立つ聖ミハエル教会 Sv. Mihael。これもプレチニクの作品。

素人目にも、とてもユニークな教会建築。1階は司祭の住居で、建物正面の長い階段が2階の教会堂に導く。

オーディオ・ファイルに字幕を付けるためのソフト。
「聴く」こと、いわゆるリスニングは耳だけによってできなければならないが、まだあまりその言語の音になじんでいない場合は、文字を併せて見ることをあまりストイックに排除することもない。となると、音声を聴きながら文字が同期して(つまりカラオケスタイルで)出てきてくれたほうが便利だ。AAC の歌詞埋め込み機能とチャプタ機能を利用して、簡単にこれを実現してくれるのが上記ソフト。

二月末、シュコフィヤ・ローカの城にてリュブリャーナ滞在もあと10日を切ってしまった。このブログを始めたのが昨年の2月19日だったのだが、一周年もいつの間にか過ぎ、下書きのまま放置しているものも含めるとエントリは300を超えた。日本の関東地方ではようやく春一番が吹いたということだが、こちらの冬と春のせめぎあいは一進一退。
リュブリャーナからいずれも25キロ程度の距離に、三つの古い町がある。クラン、シュコフィヤ・ローカ、カムニク。三つとも旧市街は中世の面影を残し、三つともかつて交易拠点としてまた手工業の町として栄え、三つとも近代に鉄道が通され、19世紀から20世紀に工業都市として発展した。

2月半ば、クランの町にでかけた。
プレシェレンは晩年、と言っても40代だが、クランの町でようやく弁護士として開業して生活していた。たった3年たらずで亡くなる。当時彼が住んでいた家が、よくあるように、記念館として公開されている。
入ってみると、小学生の団体が2グループほどいて、ガイドの説明を聞いていた。他には客はいなかった。

プトゥイのクレントを見て、グラーツから帰った翌日、2月25日土曜日が、リュブリャーナのカーニヴァルだった。
半月ほど前から、デパートでもスーパーでも199トラルショップでも文房具屋(!)でも、やたらに変身グッズ、仮装グッズが売られていて、ここのカーニヴァルはどういうことになるのだろうかと思っていたら、「本番」はこの土曜だった。その少し前から、街には仮装してふらふら歩いている子供や親子連れを見かけるようになった。