麗しきヴィダ Lepa Vida

ケケッツに続くスロヴェニアの「国民的」説話的人物像の第二弾は「麗しきヴィダ」さん。これは、少なくともヨーロッパでは他に例を見ない特異なイメージだという気がする。

lepa_vida.jpg出典

話の大筋はこうだ。若く美しいヴィダは、人に勧められるまま、年配の男と結婚し、子をもうけるが、なにか満ち足りないものを感じている。ある日、彼女が浜辺でおむつを洗っている(塩水で洗うのか?)と、有色の紳士が小舟に乗ってやってきて、いっしょにスペインへ行くように誘う(地中海横断だ)。ヴィダはその誘いに従う。ヴィダはスペインの女王の宮廷に仕え、女王にたいそう愛される。だがヴィダは幸福ではない。故郷と夫と子供のことを思い、ひそかに涙を流す。ヴィダは月に向かって尋ねる。夫はどうしているだろうか。月は答える。彼は舟に乗って海に出、あなたを探している、と。太陽は告げる。おまえの子は死んだ、と。ヴィダは悲しみに堪えず、傷心のうちに死ぬ。

もともとは11世紀に成立したとされるバラード。「有色の紳士」が登場するあたりは、当時アドリア海岸にアラブ人が何度か襲撃してきたことの記憶をとどめているのだという。

「麗しきヴィダ」は19世紀から20世紀のスロヴェニアの文学や音楽(オペラ)で繰り返し取り上げられている。プレシェレンはバラードを造り直しているし、ツァンカルは戯曲に仕立てている。ヴィダの行動に対する視点はさまざまだが、どの脚色でも、彼女を断罪するトーンはない(らしい)。
評論の対象にもなる。ある書き手は、女が自分の幸福を追い求めるということは、今では当たり前のことだが、ヴィダのバラードは11世紀に成立しているのだ、ということを強調する。とても健全なフェミニズム的アナクロニズム。

1999年だったか、初めて参加した夏のスロヴェニア語講習の会場兼宿泊施設のユースホステルみたいな「学生の家」でバイトをしていたとてもチャーミングな大学生のアニータがしゃべっていたことを思い出す。スロヴェニアってどう思う? ─小さな中にアルプスもアドリア海もあって自然は美しいし、とってもいい国じゃないか。だから来ているんだよ、僕は。─でもやっぱり狭すぎるのよね。私はどこか他の国へ行きたい。
そんな話をしていたのは、「学生の家」の入り口前に置かれたベンチだった。「学生の家」はポルトローシュのはずれの高台にあって、眼下には夏のアドリア海がきらきら光っていた。

他方で、ヨーロッパ諸国の中で(自己)満足度が一番高いのはスロヴェニア人だ、というような調査もある。

どちらもそれぞれに納得してしまう部分がある。

(この項は、瑕瑾がありそうだし、もう少し補筆の必要がありそうに感じる。それはまた追々。)

参考:Carantania
Mladinska.com

    
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コメント(8)

詳しく知らないので何ともいえませんが、無責任な連想だと、エウリディケーの側から見たオルフェウス物語と、エウローペーの彷徨が十字軍の時代に脚色された、というような感じがしますね。でもどうして拉致って大抵東風に乗るんでしょ(あ、いけない)

エウリディケーの側から見たオルフェウス物語…。それ、面白い。しかしスペインは冥界かい。いずれにしても、オルフェウスと決して対称性を持った物語としては成立し得ない気がする。
現代のエウローペーは複数化して巨大化したまま彷徨しているけど。
最後の点はノーコメントにしておこう。

スペインの地中海側って10世紀ごろは殆どイスラムだったんじゃないでしたっけ?(でも女王か…)
では趣向を変えて:
1)Was will das Weib?とは解けない謎である、といえば少しジジェク先生の故郷っぽくなりますか。L'autre satisfaction de la la la la femme.(とサンタンヌでは語ったのだそうです。録音も残ってるみたい)
2)未必の故意による嬰児殺害と姦通:最近多いですね。
3)海辺で生まれ育つと、つい乗り出してみたくなる、のじゃないですか?
とりとめなく

Wikipedia の「レコンキスタ」にキレイな地図があって、それを見ると、10-11世紀にはイベリア半島の半分ぐらいまで行っている。地中海側も北部は押さえているみたい。ヴィダが行ったのは北なんだろうか南なんだろうか。女王と言えば、オルフェウスの冥界も女王が支配していたんだっけ。

「女は何を望むか」ねえ。まあ、確かにラカン持ってきたくなるね。ジジェクやズパンチッチ(日本ではなぜかジュパンチッチにされている)はヴィダについて何か言ってたかな。

ちなみに僕は海辺で育ったのだったはず。それが何か? ;)

いえ、太平洋は論外です。風の制約もあり、東への遠出は考えもしなかったのではないでしょうか?東の先になんか行ってもろくなことがないとわかってたのだと思います。日本にとって「海」はやはり南海と日本海だたのでは。といっても、沿岸伝いに西南へ向かうと、いつの間にか西の方リュブリャーナに逢着していた、とか。
それにしても西から東に向かうものって大抵失敗してますね。十字軍とか元寇とか東方殖民とか、シオニズムとか(あ、いけない、また)

強引にひっぱるなあ。 :)
かつての日本の大失敗、「大陸経営」なるものは東から西だったはずだけど?

いえ、あれは見かけは東から西へ向かいましたが、脱亜入欧の観念に駆られたものだったので、実は西から東なのです。日本極西論って最近ありますよね(こじつけか…)

まあ、分かるけど。
ヴィダを無理矢理日本に繋げると、野口雨情の「赤い靴」か。たかだか明治のことだし、おまけに当の女の子は実は出国できずに病死しているという話だけれど。

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このページは、takuyaがfebruar 16, 2006 3:29 AMに書いたブログ記事です。

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