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プレシェレン

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「スロヴェニア用語の基礎知識」の筆頭に挙げられるべきはこの詩人の名前でしょう。フランツェ・プレシェレン France Prešeren (1800-1849)。弁護士にして薄幸の抒情詩人。ブレット湖に近い村ウルバに農民の息子として生まれながら、ウィーンで法学を学び、学位を取るまでにいたったものの、弁護士として成功できたわけではありませんでした。ハプスブルクの支配下で、当然スロヴェニア人は不利な地位に置かれていたことでしょう。長い間下働きに甘んじなければならず、自身の小さな事務所をクランの町に開く許可が得られたのは46歳のときでした。コネというものを持たなかったからでもありますが、メッテルニヒ政権のもとで、左派のナショナリスティックな反政府的人物として睨まれてもいました。ウィーンの政府を嘲笑し批判する雑誌に寄稿していたプレシェレンには、存命中の成功はあり得なかったのでした。(なんかよく聞く話のような気もしますが、19世紀にあって、そういう本人にとっては、実際容易な人生ではなかったことでしょう。)

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Wolf 通りのユリちゃんち。
女性とのかかわりでも絵に描いたように不幸。グラーツ(現在のオーストリア南部)の上流家庭の娘と婚約したものの、地位がそぐわないと感じて婚約解消。リュブリャーナの富裕な市民の娘、ユーリア・プリミッチに対する叶わぬ恋は、彼を自殺のまぎわまで追いつめます(うーん、ますます19世紀だ。ユリちゃんは罪)。しかしこの恋から、技術的に完成された、深い感情をたたえた叙情詩の名作が生まれてくる。(ユリちゃんのおかげ。しかしやっぱり19世紀ですね。21世紀の日本だと、『電車男』になってしまうわけで。)それで、「やむにやまれず」、23歳下の「素朴な」娘、アナ・イェロウシェクに手を出す。彼女は16歳でプレシェレンの子を産み、さらに二人の子供を世にもたらす。この三人の娘にはそれなりに愛着を抱いていたらしいプレシェレンは、しかしアナと同居したわけでも結婚したわけでもなかった。(ここらへんの記述は Petra Rehder の書いていることの敷き写しです。色々なレベル、色々な関連での「適切さ」については、僕は判断も保証もできません。)

詩人として認められることも生前にはなかった。自作の出版はしていました。1831年と1834年にはソネット集を出していますし、無数のバラードやロマンスに加えて、1836年には歴史叙事詩「サヴィツァでの洗礼」Krst pri Savici を公刊しています(この作品についてはジジェクがどこかで面白おかしくコメントしていましたね)。1847年刊の作品集に収める予定だった「乾杯の歌」Zdravljica の民族自決を望むトーンにウィーンの検閲は敏感に反応し、この作品は切り縮められてしまう。プレシェレンは作品集からこの作品自体を削ってしまいます。革命の年、1848年になって、この詩はようやく公刊される。しかしやがてスロヴェニア最大の詩人として讃えられ、「乾杯の歌」の最後から二番目の連がのちの独立スロヴェニアの国歌になろうことなど知る由もなく、翌1849年2月8日、プレシェレンは困窮のうちに、肝臓障害で亡くなります。

それが、現在、街の中心も中心の広場には彼の名が冠され、プレシェレン像が建っている。(この銅像は、ユーリアの住んでいた家のほうを向いているそうです。)そのプレシェレン広場のことは何度か触れてきています。1000トラル札にはそう思ってみれば「恋煩い」かつ/またはアルコール障害かつ/または政治的迫害に苦しみやつれた男に見えなくもない肖像(画家 Rudi Španzel ルディ・シュパンゼルの作品)が使われている。街のお菓子屋ではモーツァルト・クーゲルみたいな高級チョコ、「プレシェレン玉」を売っている(けっこうイケます)。命日は「スロヴェニア文化の日」という国民の祝日になっている。
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長い間自らの国家を持たず、もっぱら言語と文化にそのアイデンティティの支えを見いだしてきたスロヴェニアの人々にとって、文学は特別な地位を占めてきたというのは、現在でも必ずしも誇張ではない様子。そう思ったのは、家主の奥さんから、初対面のときに、プレシェレンの詩は良いからお読みになるといいですよ、と言われたときです。彼女が必ずしも「平均的なスロヴェニア人」かどうかは分かりませんが、まあ普通のおばさまです。そういう人が、そういうことを、初対面の外国人に向かってすっと言える、というのはかなりのことなのではあるまいか。日本で同様のことが考えられるでしょうか。実際、プレシェレンやコソヴェルの詩集は、人口2百万のこの国で、ずっと版を重ね続けている。

そもそも首都の中心が詩人の名前を冠した広場であり、その命日が国民の祝日であるというのはあまり例の多いことではないでしょう。ドイツに「ゲーテの日」、日本に「漱石の日」なんてものはない。

今現在生産されている「文学」がどうかと言うと、これはまたちょっと別の問題です。