数多くのイタリア本を出しているタカコ・半沢・メロジーさんの比較的最近の本。本書はイタリアを離れて初めて隣国オーストリアを対象に据えている。
半沢さんの文章の特色はひたすら躁的な、テンションの高さにある。とっても素敵、で最高、でほんとに幸せ、な部分を拡大鏡のように見せてくれる物事のつかまえ方、語り方は、他のひとにはちょっとまねの出来ないものだ。
オーストリアというのは歴史的社会的心理的にとんでもない問題を抱え込んでいる国(いや、日本もドイツも大差ないっちゃないんだが)であり、その暗い面について(も)語ったものとしては中島義道の文章などがすぐに思い浮かぶし、オーストリア出身の作家たちがオーストリアについて書いたものなど、違和と苦悩と侮蔑と呪詛に満ちている。僕も実はオーストリアというのはあまり好きでない。でもそういう面は、半沢・メロジーさんの文章には出てこない。住んだわけではなくて、もっぱら旅行者の目で見ているということもあるだろう。見えていないということもあるだろう。見えていても、書く段階で、半ば意識的、半ば無意識的にフィルターをかけているということもあるだろう。
もっとも、「最高」ではない部分も、もっぱら光を際立たせる影として、さらりと姿を現す。ある小ホテルでは、中国人女性スタッフの笑顔と振る舞いが絶賛された後、対照的なレセプションの男のことが触れられている。最高のホテル人と絶賛される「J. ポール氏」(パウルか?)の話は、同じホテルには他にロクなスタッフがいないことを明らかにして終わる。のだけれど、うかつな読者には気付かれないようになっている。
いや、全体の演出としては逆で、かつては何の魅力も感じなかったオーストリアの良さに、近年になって気付いた、というストーリーになっている。
目茶苦茶なドイツ語が出てくる。そもそも日本語もところどころおかしい。
それでも魅力にあふれているのは、豊かな出会いが語られているからだ。たとえば音楽家の津久井夫妻の話は、なんと魅惑的なことだろう。そしておそらくそうした出会いも、このテンション、この気質によってこそ恵まれているのだ。うらやむべきだろう。
この調子でますます健筆をふるっていただくことを望むしかない。隣国のスロヴェニアもしばしば訪れているとのこと。タカコ流にスロヴェニアを語ったらどうなるのだろう。ちょっと恐ろしい気もするが、読んでみたい気もする。



コメントする