ウチのアパートの真ん前に、ギムナジウム、つまり高校があります。早起きのスロヴェニアらしく、朝はずいぶん早く、まだ暗いうちから多くの学生が登校してきて、教室の明かりが灯る。(現在の日の出は7時40分ごろ。)正月休みの短いヨーロッパのことで、1月もすでに3日から。で、この高校、ヨーロッパのほとんどの学校と同様、街中の普通の建物の一つであって、校庭と呼べるものがほとんどありません。それでどうなるかというと…
休み時間にざわざわとガキどもが外に出てくるわけです。人の通行を邪魔しながら外の路上で立ち話しつつタバコを吸ったり、近くのカフェに行ったり、スーパーでちょっとした買い物をしたり。この前、昼頃、近くの文房具屋に買い物に行ったら、昼休みの「女子高生」でいっぱいで、レジでえらく待たされるハメになりました。うーん、邪魔臭いと言えば邪魔臭い。
ドイツに住んでいたときは、近くに学校がなかったので、こういう現象には出くわさなかったのですが、おそらく似たようなものなのでしょう。
下の子供が行っている幼稚園は一応園庭があり、そこで遊んだりしているようですが、上の子供が行っている小学校には、やっぱり二カ所ほどの狭い裏庭しかありません。短い休み時間には、その狭い中を走り回っているようで、一方の壁面は、これもスロヴェニアらしく、岩登りの練習用というか遊び用の足場が取り付けてあります。小さな人工岩壁。さすがに小学生の彼らが休み時間に校外に出てくることはないようですが、しかし「体育」に類する外遊びの時間は、城山の上まででかけたりしているようです。
ひるがえって思い出してみるに、日本の学校には必ずある程度の広さの「校庭」がある(法で決まっているのかと思ったら、「校庭 - Wikipedia」によればそうではないようですね)。そして、僕らは高校(敷地の広さが自慢の神奈川県の私学でした)まで、帰宅までは学校の中にいたし、帰宅途中でも「買い食い」と呼ばれる(考えてみればヘンな呼び名です)行為は「罪」でしたね。もちろんいたってまじめな生徒だった僕はそんなことをするはずもなく、唯一卒業式のあとに町の喫茶店に友人何人かと入ったら、あわてて店主が飛んできて、「制服での入店はお断りしています」と言うから、「卒業しました」とひとこと返したら、むこうは、ならいいです、とあっさり引き下がった、そんな経験しかありません。
そう言えば、制服なんてものも、こちらにはもちろんありません。僕自身は中学高校の頃制服に違和感はなくて(幸いあの軍服もどきの詰め襟ではなかったからでもありますが)、大学に入ってから、そんなもののない学校から来たA.R.(現在は作家、というよりすぐれた時評家、エッセイストとして活躍しています)と中高の制服の是非に付いて激論をかわした(笑)記憶があります。が、僕自身はもちろん、彼にしても、どっちでもいいよ、そんなこと、というのが今現在の認識ではないかと思います。
制服がなければ、日本でときどき見受ける「セーラー服」に対する倒錯したフェティシズム(フェティシズムは定義上倒錯に決まっていますが)も生じようがないし、子供たちの方としては、決められた服装の中での抵抗として出てくる醜悪なルーズソックス(イナカでは今でもあるのでは?)とか、だぼだぼのズボンとか、そういうものもあり得ない。ファッション全体としてまっとうに勝負するしかないわけです。それはそれで大変か。(こうして見ると、抵抗や倒錯がいかに制度に寄りかかり支えられているかということもよく分かります。倒錯よりもヒステリーのほうがキケンなんだと言ったジジェクは正しい。)
ま、ともかく、で、日本だと、そういう暗黙の、あるいは露骨な、制限が一挙に外れるのが大学な訳です。考えてみれば変な話かも知れません。まあ、日本では、これもこちらにはない大学入試というものを経てきて、晴れて大学生となって初めてそうした「自由」を手に入れるというのは、受験勉強というシステムとコミになっているのかもしれません。
それはそれでちゃんと機能しているようにも思いますが、制限のための制限は、ときとして、何が肝心なのかを見失わせることがあるという、これも常識に類する凡庸な認識を、改めて考えてみる必要もあるかもしれません。でもこっちの休み時間のこいつら、やっぱりウザいなあ。



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