一定の「専門書」と、リュブリャーナ大学の授業の下準備のために日本のアマゾンから一括して注文した十数冊の村上春樹(大部分は文庫本)を除くと、日本から持参した本は多くない。その中で、出発直前に目にとまって荷物に放り込んできたのが伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』。大昔に20代後半の伊丹十三が書いたこれが、とても面白かった。すごくまともで鋭敏な感覚の持ち主の文章。当時の日本の平均的認識とのギャップをどうおさめて読ませていくかに苦労しているのも面白いし、それをまた極めて巧みに処理している。

その後40年も経って、日本は当時の伊丹十三が嘆いている姿よりもまともになったところも多少はあるけれど、大半は今でも伊丹の指摘がそのまま通用する。
さすがにアルデンテという概念は今の日本ではありふれたものとなり、むしろあの「スパゲッティ・ナポリタン」(もっともこれもコンビニ弁当などで健在だが)に違和感を抱くそういう僕らが、ドイツとその周辺のスパゲッティのお粗末さに愕然としたりするようになった。リュブリャーナに来て初めて気づいたのだが、これは彼らの料理センスだけの問題ではないようだ。こちらで売っている一番安いスパゲッティは、恐ろしくのびやすいのだ。日本で売っている乾麺では、「マ・○ー」ですら、こういうことはない。リュブリャーナやドイツのそこらの食堂の安いスパゲッティは、茹で方の問題以前に、どうやらこういう粗悪品を使っていることに問題があるらしい。ずいぶん以前にトラックバックをかけていただいた(どうもありがとうございました)Okku-netさんは、こちらの記事をご覧いただいてシュマルナゴーラやリュブリャーナを回られたようだが、そのブログに写真の掲げられたリュブリャーナのスパゲッティは、どこの店か分からないが、見るからに完璧にのびきっている。僕も過去にさんざん失敗した上で言うのだが、リュブリャーナで比較的まともなパスタが食べたければ、gostilna As あたりに行くといい。賢明なことに、もっぱらのびにくいショートパスタを使っている。チョポヴァ通りのすぐ裏手、Knafljev prehodと呼ばれる、いろいろな建物の一種の内庭の中にあり、これが首都の真ん中かと思うような緑の濃い夏場、ここのテラス席はとても気持ちがいい。Knafljev prehodは、三本橋からすぐ、Wolfova ulica (ヴォルフ通り)に入ってすぐ右手の建物に開いた門をくぐる道で、そのままメインストリートの Slovenska cesta (スロヴェニア大通り)まで抜けている。(ただし、夏場の夕方、リュブリャーナのちょっとしゃれた連中がお茶に集まる時刻は、人が多すぎるし、店員の対応も格段に悪くなるので、とくに家族連れには薦めない。)
ええと、何の話だっけ。そうそう、伊丹十三の本の話。英語の音に対する指摘も、いまでも、伊丹十三自身が言うように英語の専門家の人たちであっても、熟読する必要がある人はたくさんいるだろう。伊丹十三が書いていないことで、日本人の外国語の発音に関して言うべき重要なことはもちろんまだある。代表的なものが "n" の音といわゆる後舌高母音だ。でもそれについてはまた改めて書く。
こんなのはほんの一部で、『ヨーロッパ退屈日記』には面白い指摘が巧みな文章で詰め込まれていて、枚挙にいとまがない。山口瞳は中高生が読むべきだと言ったようだが、イヂけていない、しなやかな感覚を持った人なら、何歳であろうと読まれるといい。



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