で、今回の話 その3

浅い眠りだった。ミュンヘン到着の20分前、車掌に起こされる。しばしの間があって、悲鳴をあげたのは家人だった。手にはナイフですっぱりと切られたハンドバッグのショルダーストラップの切れ端を持っている。彼女がベッドの壁側、体の脇に置いて寝たはずのバッグ本体はなかった。あわてて上の段を見ると、彼女のリュック(中身はほとんど着替え)と小スーツケースはそのままだったが、僕のブレントヘイヴンのリュックが消えていた。パワーブックG4、デジカメなどが入っていたリュック。ボンの旧友にと持参したとびきりおいしいスロヴェニア・ワインも2本。

急いで靴を履き、車掌を捜す。車掌は車両の反対の端、最後部のキャビンにいた。この時の車掌の表情も、何か腑に落ちないものがあった。犯罪とは反対の側に立った怒りのようなものはいっさいない、ただ困惑した表情。われわれのコンパートメントのところまでやってきたはやってきたが、何をするでもない。閂をちゃんとかけていなかったのだろう、と言うだけだ。その点に確信の持てない僕としては弱いところ。

隣の男が便所から帰ってきた時、僕は自分たちのコンパートメントの前に、通路を塞ぐ格好ですわりこんでいた。通せんぼをしているようなその僕の姿を見て、男が一瞬ぎょっとしたような表情をしたのは気のせいだっただろうか。そう思う間もなく僕はさっと道をあけてしまった。そのとき、彼がにやりと笑ったように見えたのは気のせいだろうか。(そのあと、彼がもう一度便所に立った時、僕は隣のコンパートメントをさっと覗いた。中にあったのは小さなブリーフケースだけで、何かをそこに隠す余地はなかった。男は、黒装束に鋲の打たれたブーツなどではなかったが、『エーミールと探偵たち』でユルゲン・フォーゲルが演じていた男にどことなく似た雰囲気を持っていた。)

ややあって、向こうの方から、車掌が手招きする。車掌のキャビンのすぐ隣の客室に、家人のハンドバッグがあった。財布の中の現金と、携帯、そして iPod が消えていた。財布の中のカード類はそのまま残されていた。(そこにあることに車掌が気づくなら、もっと早い段階で気づいていてもよかったのではないかという気もちょっとする。)

それからこの車両のもう大部分の客が途中でいなくなったコンパートメントを、こちらから最後部に向かって車掌と一緒に一通り覗いて歩く。一番最後のカーテンの引かれたコンパートメントを僕があけようとした時、車掌はあわてて、そこは俺の部屋だ、と言った。もしこのときかまわずに扉を開けていたら、もしかしたらちょっと面白い光景に出会うことになったのかもしれない。

しかしもう一つ奇妙だったのは、コンパートメントの閂。先に書いたように、金属製の棒を扉の穴に垂直に差し込むだけのものだが、その先端から5ミリか1センチほどのところに、太さ2ミリ程度、長さ5ミリ程度の小さな金属の棒がさしてあったのだ。差し込む穴の方はだいぶまわりが広がっていたから、それでまったく閉まらなくなることはなかったが、気をつけなければこれがひっかかってきちんと閉まらなくなる、そういう仕掛けだったのかもしれない。

総じて、車掌は、あとから思うと、脅されて共犯をやらされている男のような雰囲気があった。まあしかし、それは僕がそう思っただけのことであって、すべては状況証拠にすぎないし、ここに書いているのはいろいろと思い出しながら、あとから考えながらのことであって、寝ぼけてかつ慌てたそのときの頭に、すべてが考えられた訳ではない。

こちらが子供に支度させるのに手間取っている間に、隣の男は向こうの端で車掌となにやら短く談笑すると、さっさと降りて行ってしまった。

ミュンヘンの駅の警察に行き、被害届を出す。朝6時半ごろの到着だったが、それで2時間近くかかってしまった。まだ頭が働かず、リュックサックの中身として挙げたものには相当遺漏があったことにあとで気づいた。カシオの電子辞書、日本から出る直前に作ったスペアの眼鏡などなど。構内のバーガーキングで朝食をとり、それからともかくミュンヘンの街へ出ることにした。(も少し続く)

    
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このページは、takuyaがdecember 24, 2005 9:15 PMに書いたブログ記事です。

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