寝台車の記憶

ヨーロッパで以前寝台車を使ったのはずいぶん前のことだ。最初はたぶん1989年の春ではなかったかと思う。最初に西ドイツ(当時)のボンに留学していたときのことで、ボン中央駅ではなく、ライン川を渡った対岸のボン・ボイエル駅から乗って、ウィーン西駅まで行った。

nachtzug.jpg出典

その旅のことはほとんど覚えていない。どんな車室だったかも、どんな同乗者がいたのかも。そのあと、ウィーン南駅から当時まだユーゴスラヴィアだったリュブリャーナに昼間の列車で移動して(このときのリュブリャーナ訪問に関しては以前に少し書いた)、リュブリャーナからダルマチア(いまのクロアチア)の海岸に出るのにまた寝台を使ったはずだが、これもほとんど記憶にない。唯一、覚えているのは、朝起きて眺めていた車窓から、豊かな緑の山間にひどいゴミの山があったことだけだ。調べれば分かるはずだけれど、到着駅の名前すら覚えていなくて、そこからバスで海岸沿いを延々と走ってドゥブロヴニク(そのドゥブロヴニクの話も以前に書いた)に行ったことしか記憶にない。

次はやはり最初のボン滞在の終わりの頃、1990年の夏。フランスのロワール地方のアンボワーズのフランス語学校に行って、3週ぐらいホームステイをしたあと、いったんパリに出て、そこからマドリッドに行くタルゴと呼ばれる寝台に乗った。この時のコンパートメントのメンバーは何となく覚えている。肌の浅黒いアフリカ系フランス人の30歳ぐらいの男と、いかにもアメリカ中西部出身という感じの、しかし人の良さそうな50ぐらいの少し腹の出たおっさんと、ブラジル人の、それにしてはやけに小柄で細い20代という感じの男。キャビンの明かりを消す前、同室同士でおしゃべりをしていた。アメリカ人もブラジル人も大人しくて、フランス国籍の男が妙に饒舌だった。僕の偏見もあったのかもしれないけれど、ああ、このヒトは自分のアイデンティティを確かめるのに苦労しているんだなという印象を持ったのを覚えている。3人はお互いにほとんど意思の疎通ができず、僕がいいかげんな英語といいかげんなフランス語と片言のスペイン語(ブラジル人の母語はもちろんポルトガル語だが、だいたい理解してくれた)で通訳みたいなことをやったのだが、すぐに脳みそがぐちゃぐちゃになって疲れ果てて寝てしまった。フランスとスペインではレールの幅が違い、国境駅で台車の切り替えが行われると聞いていた。真夜中の国境駅で目を覚まして通路に出て、窓から外を眺めていたのだが、ほとんど真っ暗で、結局どういう作業をしているのかは分からなかった。

それ以来、寝台列車を使ったことはなかった。このどちらも、身の危険を感じたことはなかったし、これといったトラブルもなかった。まあ、どうせ盗られるものなど何もない貧乏学生だったわけでもあるが。

先週末、家族でリュブリャーナからドイツに行くのに、約15年ぶりに寝台を使った。そう、お察しの通り、それでトラブルに遭ってしまったのだった。(たぶん続く)

    
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このページは、takuyaがdecember 19, 2005 12:00 AMに書いたブログ記事です。

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