スロヴェニアのちょっとした山蔭には、よく蜂の巣箱 (panj) が置かれている。
(出典)
引き出しのたくさんついたタンスのような形で、実際に引き出しのように取り出すことができる。車に乗せて移動するようになっているものもあるし、小屋の形で、背後に養蜂家が作業をする小部屋が付いているものもある。周りをぶんぶん飛んでいる蜂(上の写真でもよくよく見ると写っている)はそれぞれの「引き出し」前面の下の隙間から出入りしている。
これも、以前に触れた干し草の竪琴とならんで、スロヴェニア独特のものであるようだ。
スロヴェニアでは16世紀以来、蕎麦の栽培が盛んで、それと同時に、とくにアルプス地方で、蕎麦の花を好む蜜蜂を飼って蜂蜜やワックスを取ることも始まった。
もともと、養蜂のための蜂の巣は、木のうろや、藁で編んだかご(下図)が使われていた。
(出典)
しかしこれでは、1回蜜を取るために潰したらおしまい。引き出しごとに取り出して蜜やワックスを採取することで、継続的な養蜂が可能になった養蜂舎は、すぐれた技術革新であったわけだ。
このタンスのような形の養蜂舎は18世紀以来らしく、それから19世紀までが、スロヴェニアの養蜂の最盛期だったようだ。これが民俗的に重要なのは、それぞれの「引き出し」の前面パネルに、いかにも民衆的な、思い思いの絵が描かれたからだ。

いわゆる「ヘタウマ」(ってそろそろ死語かな?)、ナイーブアート。宗教的なモチーフが多い(ヨブがよく出てくるのは養蜂の守護聖人だからだそうだ)が、特に面白いのは風俗を扱ったもの。(風俗と言ったって、今の日本のその種のものではなくて、美術史に言う風俗画のことだ。)人々の妙な癖とか、いさかいとか、気性を描いた作品だ。悪魔が噂好きの女の舌をやすりで研いでいたり、

二、三人の女が一人の男のズボンを取り合っていたり(つまり結婚相手の争奪戦)、

あるいは、たくましい農家のおかみさんに打ち負かされて情けなく逃げ出して行く悪魔とか。よくある絵柄は、悪魔が歳とった妻を若い妻に取り替えてくれるというもの(夫にとっては──たぶん──ありがたいことに)。臼に妻を入れて碾くと若返って出てくるというパターンもある。

あるいは「さかさまの世界」のモチーフ。シカが銃を持っていたり、熊が狩人を墓穴に入れていたり。とにかく当時のスロヴェニアの人々の民衆的な想像力のレパートリーが分かってとても面白い。
巣箱にこういう絵が描かれたのはどういう理由だったのか。色の識別のできる蜂たちが自分の巣箱を区別できるようにするため、とか、宗教的なモチーフは蜂を災害や病気から守ろうとしているのだとか言われているが、よく分からない。理由なんてないのかもしれない。
こうしたパネル絵は、 1820年頃から1880年頃までが最盛期だった。現在でもこうした養蜂舎はスロヴェニアのいたるところで使われている(趣味としてやっている人も多いらしい)が、前面パネルは一番上の写真のようにたんにカラフルに塗り分けただけのものがほとんどだ。そのかわり、古いパネルのレプリカが作られて、ツーリスト・インフォメーションや土産物屋で売られている(2枚めの写真)。フルサイズはたいてい6000SIT弱。半額ぐらいのミニ版もある。
以上の記述の大半は、ガイドブックLonely Planet Sloveniaの簡にして要を得たコラムの記述をベースにさせていただいた。
中世の町並みをよく残したラドウリツァ Radovljica の旧市街の真ん中には、養蜂博物館があり、養蜂の歴史と、多数のパネル絵のコレクションを見ることができる。(パネル絵は、リュブリャーナのスロヴェニア民俗博物館 Slovenski etnografski muzej でも見られる。)
ラドウリツァの博物館には、日露戦争をモチーフにした、日本兵とロシア兵が撃ち合っている絵柄のものもある。日本人の方には、ちゃんと「日本人」japonci と書かれている。往時、ロシアを打ち負かしたことになっている東洋の新興国に、このあたりの人々は親近感を抱いた、という話は、日本の国内でときどき聞かされることがあるが、こんなところにその「証言」を見出すことができる。
国産つまりスロヴェニア産の味の良い蜂蜜はどこでも売っている。巣箱から取り出したウェハースのような蜂の巣のかけらが入れてあるのも多い(入っていないものよりたいてい少し高い)。これは甘いおやつになる。



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