以前のエントリ、スロヴェニアの山林で、スロヴェニアの山林がなぜ美しいのかについて触れたけれども、トリグラウ国立公園周辺には実はごく最近も危機がおとずれていたようだ。2003年1月に、スロヴェニア自民党が、国立公園の指定範囲を縮小してボヒン地方を完全に範囲外とし、開発制限規定自体を緩めることを提案したのだ。
この画像は、http://www.smtours.com/ のものを拝借した。
想像のつくことだが、法案提出側の論拠は、現存の法は地域の経済発展を阻害している。新たなホテル、道路、スキーゲレンデの建設を進めやすくしなければならない、といったところだ。しかしこれに対して、Mountain Wilderness Slovenije のような活動的な自然保護団体だけでなく、地元の人々も激しく反対したのだという。2004年2月には、27のNGOが「ブレット決議」をスロヴェニア国会に提出。これまでの保護規定を保持するだけでなく、拡大することを求めた。そしてスロヴェニア国会は、とりあえず法案を棚上げにすることを決める。(以上は、Slivnica 登山の項で紹介したドイツのガイドブック、Slowenien. Wandern & erleben の Michael Pröttel のコラム的な記事の受け売り。)
人々の決断と行動に拍手を送りたい。しかしまだ安心はできない。地図で見れば明らかだが、もともと、ボヒンの大部分はトリグラウ国立公園の域外になっている。北の谷はStudorまで、南の谷は湖の出口に隣接する Ribcev Laz までしか入っていない。つまり北の谷の半分と、南の谷のほとんどは、国立公園としての保護地域外になってしまっているのだ。当然、ドブラヴァも、ボヒンスカ・ビストリツァも、域外だ。現在の国立公園指定地域内は当面安泰でも、牧草地の豊かなボヒンが、だから、文字通り資本の草刈り場になってしまうシャレにならない可能性は残っている。
考えてみれば、ボヒンスカ・ビストリツァ再訪で書いたように、あの温水プール施設、アクアパークができたことも、こうした動きの中で捉えるべきなのだろう。他にもこの夏に気がついた「兆候」としては、ドブラヴァの丘の牧草地に、やたらと柵がたてられていたことも気になる。柵と言っても、背の低い細い棒に、細い紐を張り渡しただけの簡単なものなのだが、ルソーの『不平等起源論』ではないけれど、かつてのドブラヴァにはそんなものは一切なかったから気になる。以前は丘全体が一つの牧草地で、持ち分の区別は、わずかな石ころや良識によっているように見えた。また、かつてはドブラヴァには馬はいなかった。それが、ドブラヴァの裏手には、小さな観光用馬場のようなものができていて、それも気になった。本格開業前だったからか、シーズンが少し過ぎていたからか、人の気配はなかったが。犬が繋がれていて、やたらに吠えていた。
もう一つ気になったのは、ボヒン一帯から野生のタイムが姿を消していたことだ。牧草地のどこにでも生えて、いい香りを放っていたタイムが、この夏は、まったく見つからなかった。不思議なことだ。ヤロウは健在だったけれど。まあ、これが、スロヴェニア自民党の動きに関係があるとは思えないが。
まあ、なんだよ、アレだな、通好みの店が、客を増やすために凡庸化していって、もとのいいお客を失い、やがて他の月並みな店との競争に破れて潰れていく、そんな構図だな...ってないかにもオヤヂ的な比喩が思い浮かぶ。僕は経済やビジネスのことには疎いから、これが適切な喩えかどうかは分からない。が、まあ、もしそうなったら、「足を向けなくなる元常連客」の一人になることは間違いない。



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