昨日10月30日は10月最終日曜で、その午前3時が午前2時になって夏時間が終わった。
今日、10月31日は、宗教改革記念日でスロヴェニアの祝日。たとえばドイツでは、プロテスタントの優勢な州でしか休日にならないのに、カトリックが圧倒的に多いスロヴェニアでなぜこの日が休日になるのかというと、スロヴェニア語の書物の成立にかかわっているかららしい。
昨日10月30日は10月最終日曜で、その午前3時が午前2時になって夏時間が終わった。
今日、10月31日は、宗教改革記念日でスロヴェニアの祝日。たとえばドイツでは、プロテスタントの優勢な州でしか休日にならないのに、カトリックが圧倒的に多いスロヴェニアでなぜこの日が休日になるのかというと、スロヴェニア語の書物の成立にかかわっているかららしい。
この見慣れない品種名 Rizvanec とは、要するにドイツでポピュラーなミュラー=トゥルガウのことであるらしい。ドイツでは全作付けの1/4を占める品種だが、スロヴェニアではあまり多くなく、北東部のポドラウイェ Podravje 地域のみで作られている。
以前のエントリ、スロヴェニアの山林で、スロヴェニアの山林がなぜ美しいのかについて触れたけれども、トリグラウ国立公園周辺には実はごく最近も危機がおとずれていたようだ。2003年1月に、スロヴェニア自民党が、国立公園の指定範囲を縮小してボヒン地方を完全に範囲外とし、開発制限規定自体を緩めることを提案したのだ。
この画像は、http://www.smtours.com/ のものを拝借した。
そんなふうに画像を漁ったりして道草を食いながら、基礎1500語の学習は、ようやく "P" の項まで来た。スロヴェニア語は "p" で始まる単語がやたらに多くて、音素の使い方、振り分け方がものすごく不経済な気がする。似たような音の単語が多いように感じて、初心者としてはそういうところも少々辛い。prepovedovati が「禁ずる」で、pripovedovati が「語る」だなんざ恐れ入る。(すぐに見分けられた人、すぐにどっちがどっちか把握できた人はエラい。)それだけに、"P" の項が一つのヤマかな、これを越せれば楽になるかな、という感触がある。このあと、スロヴェニア語にはQもWもXもYもないし(そのかわり Š, Ž があるけど)。
やり始めてみて気がついたのだが、ネットで画像検索して語彙学習に取り込むというやり方には、いくつかのメリットがある。
まず第一に、スロヴェニア語/日本語対訳のネタ本の日本語から抱いていたイメージが微妙にズレていたり、スロヴェニア語の単語をもっぱら日本語の単語に結びつけただけで覚えていて、イメージの広がりを理解していなかったことに気づくことがある。前者はたとえば blagajna がそうだった。
前のエントリで書いたように、UniLingua は、それぞれの単語に画像を付けることができる。画像はネット上から Google のイメージ検索で拾ってくる。Safari で Google のサイトに行けばいいのだが、それよりも Beholder を使う方が速くて便利だ。Lite 版はフリー。アイコンがあまり趣味のいいものではないけれど、それには「目をつぶる」。
自慢ではないが、僕のスロヴェニア語能力は相当に貧困だ。このブログでスロヴェニアのことを語っても、英語やドイツ語の情報を元ネタにしていることが多いことはバレていると思う。情けない。基本的な語彙からして足りなさすぎることに気づいて、9月末から、山崎佳代子さんの『スロベニア語基礎1500語』(大学書林)をしっかり身につけることにした。それが似つかわしいぐらいに語彙力が貧しかったということだ。覚え始めると、町中で目にする単語でも、ああそうか、というものが覿面に増えていく。やはりそんなに効果があるほどに僕の元の語彙力が貧しかったということだが、この本の単語がよく選ばれたものであるということでもあるだろう。
土曜日、朝から快晴だったので、出かけることにした。どのみち最も早いバスが 11時15分という路線で、リュブリャーナからツェルクニツァ Cerknica に12:29着。そこからスリウニツァ Slivnica という標高 1114m の山に登る。Cerknica が標高 560m あまりのところにあるので、標高差は 550m ほど。
日本の100円ショップにあたる店は、たとえばドイツなら1ユーロショップで、ここ数年でいたるところで見かけるようになった。スロヴェニアにも対応するものがあって、ここでは全品 199 トラル。199トラルショップだ。単純に換算して115円ほど。Celi Svet = 全世界、という名前は大きく出た感じのチェーンで、リュブリャーナ市内にも何軒もある。
先日、ウチの近くの店舗を初めて覗いてみた。
10月中旬、こどもを幼稚園に迎えにいったら、突然、明日は遠足で、親が付いてきてもいい、と言われた。行き先はリュブリャーナから北西方向の聖(スヴェト)ヤーコプ。そういう名前の教会が山頂にあって、山もその名で呼ばれているようだ。少し考えて、付いていくことにした。
翌日の午後、E.P.L. にもう一度行くと、ちゃんとハードディスクが入荷していた。SAMSUNG 製の 60GB、5400 rpm のやつ。税込みで 26,607 SIT。
これはお亡くなりになった方。東芝製。
代金を払って、ドライバを貸してもらえる話になっていたが、と言うと、ここで使うならいいが、持ち出しは不可だという。前日、きちんと確認していなかったのが悪いが、どうもそうなるのではないかと思って、PowerBook そのものと、トルクスドライバ以外の道具(普通のドライバセットと、1.5ミリの6角レンチ、そしてマスキングテープ)や資料は一式揃えて持参していた。それで、がらんとした店内の応接用ソファに座って、その場でバラしを敢行することにする。
リュブリャーナの Mac ショップで PowerBook のハードディスク換装をやった件に話を戻す。月曜日に初めて店に行った。店内は一つの大きな空間で、がらんとした中に、カウンターというか長いテーブルがあって、その向こうに3人のスタッフがそれぞれの Mac に向かって座っていた。こちら側には応接セットが一組、壁際には小さなショーケースがいくつか並んでいるけれども、iPod アクセサリぐらいしか置いていない。真ん中に iBook が展示されていた。3人の一番左側の、笑顔が気弱な女性に、2.5インチのハードディスクはあるかと尋ねると、明朝に入ると言う。注文することにして、ここで PowerBook のハードディスク換装作業を依頼したら手数料はいくらかと尋ねると、8000トラルだかの答え。それなら自分でやろう。ただ、普通のドライバー(ねじ回し)は持っているが、トルクスドライバーが必要なはずだ、それはこちらで売っているか、と尋ねると、販売はしていないが、貸してあげることはできるという。では貸してもらうことにしよう、ということで、その日は帰った。
なぜ Mac ショップに行ったのかというと、ハードディスクを買いにいったのだ。なぜハードディスクを買いにいったかというと、こっちに持ってきて使っていた PowerBook G4 12inch のハードディスクがどうやら飛んだからだ。(泣)
この blog の更新が滞っていたのもそのせい。
スロヴェニアの秋色。下はお亡くなりになった PowerBook。
リュブリャーナ大学の日本語学科では、Mac が多く使われている。大部分は昔懐かしいクラムシェル型 iBook に旧 Mac OS だけれど、やはり日本語と ISO8859-2 の中欧言語を共存させるには一番使いやすいということで選ばれてきたのだろう。であるからには、リュブリャーナでも Mac はちゃんと手に入るのかも知れないと思っていたら、やっぱりそうで、E.P.L. という店があると教えていただいた。だからスロヴェニアでは Mac 関連製品が手に入らないという前言は撤回し、早とちりをお詫びいたします。この前わざわざドイツから取り寄せたキーボードだって、DVA-VGA変換ケーブルだって、ここで買えばよかったのだ。
ドイツ映画『グッバイ、レーニン!』では、コカ・コーラが当時の東から見た「西側資本主義」を象徴するものとして、効果的に使われていた。大小のコカコーラのトラックが左から右に走っていく背後で、衛兵が交替する。その、「交替! Ablösung!」という号令が、体制の交替に重ね合わされていた。
主人公アレックスの母親は、心臓発作で昏睡に陥っていて壁が崩壊したことを知らない。目覚めてからも、ショックを与えてはいけないから、母親にはあくまでも東ドイツが存続していると思わせておこうとする。ところが、よりによって母親の病室の窓の向こうに、コカコーラの巨大な宣伝幕が掲げられる。アレックスは、ビデオ編集に凝っている友人とニセのテレビニュースをでっちあげて見せる。そのインチキニュースで、友人演じるアナウンサーが、「コーラは50年代(だったかな?)の東側の発明であって、それを勝手に盗んで造っていたコカコーラ社が、そのことを認め、東ドイツで共同で生産することになった」といった説明をする。それに対する母親の反応、「あら、コーラは戦前からあったわよ?」という疑問符つきの指摘は無視される。
日本版DVD はこちら:
"グッバイ、レーニン!" (ヴォルフガング・ベッカー)
『グッバイ、レーニン!』には、「コーラ代わり」の飲み物の話はたしか出てこない。でも、またハントケの『反復』の話だが、そこには、主人公の少年が、夜、イェセニツェ(スロヴェニア北西部、オーストリア国境)の駅の食堂で「当時のユーゴスラヴィアでコカコーラ代わりだった黒っぽく甘い飲み物のビン」を前に、一人、座っているシーンがある。1960年のことだ。
この一節を読んだのは1990年代はじめのことで、それ以来、スロヴェニアには何度も来ているけれど、気がつかず、今回初めて目に付いて、これかな、と思ったのがこのコクタ Cockta。体制の転換後、つまり独立後、しばらく市場から消えていて、復活したのかもしれない。
Mac OS 用に古くからあって、OS X 版も早々に出ていた Jared が、いつのまにか Dashboard 用 widget になっていた。フリーウェア。
スロヴェニアの音楽というと決まって出てくるものの一つがアウセニク Avsenik 兄弟。その音楽はドイツ語圏でオーバークライナー Oberkrainer (上部クランスカ音楽)の名で流通している。