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スロヴェニアの山林

なぜスロヴェニアの山地が好ましいのだろう、と思っていたら、Wolfram Guhl, Nationalpark Triglav. Ein Bergparadies in Slowenien. Klagenfurt: Verlag Carinthia, 2001 というガイドブックのコラム的な記事に、こんな文章を見つけた。

オーストリアとの国境をなすカラヴァンケ山脈(Guhl が挙げているのは、Dovje-Mojstrana の北東の 1891m の Baba 山、ドイツ名 Frauenkogel、カラヴァンケ・トンネルのほぼ真上だ)を歩いてみるとよく分かるというのだが、オーストリア側は皆伐によってところどころ山が禿げた状態になっているし、谷底から森林限界まで、トウヒばかりが生えている。それに対してスロヴェニア側はとても自然な印象を与える混合林で、谷底から高度のあるところまで、多くのブナが見られ、森林限界に近いあたりはカラマツ林になっている。秋の黄葉の時季、その違いはとりわけ眼に明らかで、スロヴェニア側、南西方向にまっすぐトリグラウの懐に深く入っていくウラタ谷の景観の方がはるかに美しい。

自然に近い森林づくりはスロヴェニアでは50年以上の伝統がある。この点ではスイスとスロヴェニアがヨーロッパの指導的な地位にいる。スロヴェニアでは特に、多年にわたってリュブリャーナ大学の森林学科で教鞭をとってきたムリンシェク Mlinšek の功績が大きい。この「森林学校」の根本原則は、皆伐はダメ、ということで、スロヴェニアでは実際、皆伐は法によって禁じられていて、一本一本の間伐による森林更新が行われている。これに加えて、他のヨーロッパ諸国との違いとして、スロヴェニアでは、狩猟のために猟獣を保護し増やすということがあまり行われてこなかった。このため、獣による食害も、自然な範囲を越えたものにならない。そんなこともあって、スロヴェニアの山地では、ブナ、カエデなどの広葉樹が他の山地に比べてよく育つ。

もっとも、トリグラウ国立公園などスロヴェニアの森林は、つねにこうした良好な状態にあったわけではない。鉄鉱石の採掘や製炭や牧畜のために、とくにポクリューカやコムナやトレンタの森林は、大きく痛めつけられたこともあった。鉄の生産のピークが史上三回。およそ2500年前のハルシュタット期、ローマ時代、14〜15世紀。その後、バンベルク司教、マリア・テレジアなどのお上は乱掘、乱伐を禁じる法を出したが、森林の強度な利用は、ボヒンでの製鉄が廃れる19世紀末まで続いた。特に、木炭の生産(トリエステにまで運ばれて販売された)は、森林の様相を後々まで変えてしまうことになった。このため、ポクリューカやボヒンの北西部では、ブナ林が後退し、トウヒが広がった。近年では、ブナがその領土を取り戻しつつある。

1991年の独立直後も、一部の(少数の)森林所有者が、無際限の利用権を主張して、乱伐が行われかけたことがあった。しかし皆伐を禁ずる法は有効でありつづけたし、森林と国立公園の管理局は二年後にはコントロールを取り戻した。ただし国立公園内の森林も、多くの部分がまだ個人の所有になっている。

トリグラウ国立公園は、大規模に、かつ比較的短期間に、原生林を復活させることができることを示している。これはアルプスの他の地域ではほとんど例がない。

以上はおおよそ Guhl の書いているそのままの敷き写し。

ボヒンスカ・ビストリツァの鉄道の駅の向こうは、大きな製材所になっていて、ペンション・Tの前の道は、大きな長い丸太を積んだトラックと、大きな製材済みの板を満載したトラックがたえず行き交っている。しかし周囲の山々は、つねに美しい「自然な」状態を保っている。いったいあれだけの木がどこで伐採されてくるのか、不思議だった。その謎も、Guhl の記述で大方解けた気がする。

数年前、ボヒン湖の南岸の遊歩道が整備された。当初、わずかな幅ながら法面の切り開かれた地肌が痛々しかったが、現在では「自然な」草木に覆われている。この十年、さまざまな開発や建設が盛んで、そのための土砂採掘が行われているのだろう、海に向かう道からも一ヶ所、リュブリャーナからブレットに向かう道からも少なくとも一ヶ所、大きく掘り崩された山肌が見えて痛々しい。だがボヒンの例を見ていると、そういう所も、こちらの人たちは上手に「自然」に還していくだろうなという気がする。

そう言えば、しばらく前の一時期、日本の新聞などで、安い輸入材に圧迫されて、日本の林業が、したがってまた山林そのものが、危機に瀕しているというような記事がしきりに書かれていたように記憶する。その後、どうなっているのだろうか。

日本の都市近郊の山地では、たとえば六甲山は、丹沢などと比べても、土石流災害などの対策として、あらゆる谷に無数の醜い砂防ダムが築かれている。(ごく軽いものだけだけれど、丹沢でよく沢登りをやってきて、関西に移ったとき、六甲の沢に落胆したのだった。)土質の違い、気候の違い、下流に密集する住宅地などの条件の違いはあるかもしれない(六甲は砂岩の固まりだ)。しかしその数は、少なくとも素人目には、どうも必要な範囲を超えているように思われ、官と土木業のあまり健康ではない関係を想像させる。あくまでも想像にすぎないが。山間に切り開かれた道でも、法面を灰色のコンクリートで覆っている風景は日本ではいたるところで眼にするが、こちらスロヴェニアではほとんど見かけない(低めの石垣は使われていて、そこには苔や草が生えている)。これも土質、気候の違いなのだろうか。日本では、防災の必要は分かるが、「別のやり方」への問いは欠落しているというか抑圧されているのではないか、とスロヴェニアの山を眼にしてきた素人は思う。どこか、コストのかけかたが間違っている…。

そうして、林業は死につつあるらしい日本に、スロヴェニアは今では多くの木材を輸出している。国土の大半を森林が占めるスロヴェニア。たしか日本もそんなふうに言われていたのではなかったっけ。

追記;05年9月25日、asahi.com にこんな記事が出ていた。
荒れる人工林、NPOが再生 年度内設立、企業から基金 - 社会
効果があるといいのだけれど。