ボヒンスカ・ビストリツァ Bohinjska Bistrica 再訪

初めてボヒンスカ・ビストリツァに、そしてそこのペンション・Tに漂着したときのことを、以前のエントリで書いた。

ボヒンスカ・ビストリツァに来て、このペンション・Tを訪れるのは、10年ちょっと前に予期せずたどり着いてから、もう6回目ぐらいになるだろうか。このペンションについてはまた改めて書こう。ともかく、十年ほどの間のいくつもの夏、このペンションの食堂のテラス席から、ボヒンスカ・ビストリツァをぼーっと眺めてきたのだった。

今回、スロヴェニアに来て、リュブリャーナにしばらくいて、それから海岸部に数日、そしてまたリュブリャーナで数日、それからようやくここに来たわけだが、どうもボヒンは僕にとってのスロヴェニアの原点になっているようなところがあって、ここに来てやっと落ち着いた、スロヴェニアに来た、という感じがした。

ボヒンスカ・ビストリツァは、湖の入り口にあたるリブチェウ・ラースが次第に観光地としての凡庸なにぎわいを見せ始めてからも、あまり変わらなかった。前回、三年前に来たときもそうだ。もちろん、まったく変化がなかったわけではない。初めて来たときにはまだやっていた町外れの食堂、黒土亭 Črna Prst (ハントケの『反復』に登場する)が数年後には閉鎖された。町の二三の小さなスーパーが、独立数年後には一軒を除いて一斉に Mercator 傘下になり、そのうち一軒はまもなく閉鎖された。それでも、「変わらない」印象が強かった。ところが今回は驚きが待っていた。

ペンションの道を挟んで真ん前のちょっと奥まったところに、Dom Joža Ažmana (ヨージャ・アジュマーナ・ハウス)という施設があり、映画館とカフェと床屋が入っている。三角柱を倒して三本、コの字型に繋げたような形の建物だ。おそらくはユーゴ時代からのもの。その前の幅の広いアプローチでは、日の長いヨーロッパの夕方、子供用のゴーカートが走り回っていた。管理していたのは長身のおじいさんで、二分だったかの制限時間、ぐるぐると走り回って満足げに降りた子どもたちに、キャンディーや風船を渡していた。Dom Joža Ažmana の周囲は牧草地(その向こうに、以前に触れた大きな黄色い教会がたっている)で、右手の方には木立があり、その際(きわ)には楕円形にレールが敷かれて、これも夏の夕方、子供たちを乗せて、豆機関車が走った。まばらに木々の立つ草地には、何の仕切りも柵もない。ただレールと、中央に小さな物置のような機関庫があるだけ。普段はおねいさんが機関士のディーゼル機関車、週末はおじさんが運転する蒸気機関車で、後者はちゃんと石炭をくべて走った。

僕の知る限りの十年近く、ずっとそうだった。三年前も。それが、今年は消えていた。そのかわり、これが驚きだったのだが、右手の木立の蔭に、屋内温水プール施設ができていた。ボヒンスカ・ビストリツァに温水プール! これは決してボヒンを訪れる人が求めるものではない。少なくとも、遠方から、このためにボヒンにやって来る人間はいないだろう。しかし他のものを求めてボヒンに滞在する人が、子ども連れでもあればなおさら、山歩きの合間に、あるいはスキーの合間に、つい訪れることになる施設ではある。そして実際なかなかの繁盛ぶりのようだ。円を組み合わせたような形の屋内プールは、間欠的に流れ落ちる滝や、ジャグジーや、ウオータースライダーや、フリークライミング用の壁を備え、他に、レストラン、サウナ、マッサージ、フィットネスの施設を備える。それだけの施設を含んだ建物にしては、外観の印象は小さく纏められており、Dom Joža Ažmana と同様の黒に近い褐色の外壁で、背の高い木立の蔭にあって、近くまで行かない限り、あまり目立たないように建てられている。屋内プールにしては低い水温、室温は、環境システム、生態系への影響に配慮してぎりぎりのところで折り合いを付けようという姿勢から来ているのかもしれない。ほんとうに折り合いが付くものかどうかは分からないが。

そして、聞くところによれば、ゴーカートも豆機関車も、この温水プールの建設に際して追い立てられたのだという。どう考えても、共存は可能だったはずなのだが。

夕方からのゴーカートの子供たちの嬌声、豆機関車の汽笛。僕にとっては、それが夏のボヒンスカ・ビストリツァの絵柄の構成要件だった。それが、消えてしまった。低感度で絞りを絞りきって長時間シャッターを切った街中の写真から車や人々が消えてしまうように。ゴーカートから満足げに降りた子供たちに風船やキャンディーを渡していたおじいさんはどこへ行ってしまったのか。それなりの知識と技量が必要なはずの豆機関車を運転していたオジさん、おねえさんはどこへ行ってしまったのか。豆機関車の走っていたあたりは、わずかに土手状に盛り上がった地面が、かつてそこに線路が走っていたことを示している。

Dom Joža Ažmana
Dom Joža Ažmana

もちろんゴーカートも豆機関車も、温水プールと同様、それを求めて人がボヒンに来るようなものではない。どこかで柄谷行人が言っていたように、人がノスタルジーを感じるのは、要するに遅れてしまったテクノロジーに対してなのだ、というのは、かなりの部分、正しいように思える。ここに映画館ができたときも、子供たちのゴーカートや豆機関車が走り始めたときも、それ以前のボヒンスカ・ビストリツァを知る人にとっては何かが壊れたように感じられたに違いない。

Parkplatz
ペンション客室からその駐車場の眺め。
右端は聖画像柱。
前方左手の木立の陰に温水プール施設がある。

しかし、初めてボヒンスカ・ビストリツァにたどり着いたときに感じたもの、その後もこの土地に対する僕のイメージを規定していたあのアウラは、これで決定的にただ記憶の中へと引きこもってしまったような気がする。土地の人々にとっては、これまでの長い間のいろいろな変化の一つとして受け止められているのかもしれない。が、「最初の出会い」を持ち、「最初のイメージ」を持ってしまったよそ者にとっては、この変化はとても大きく感じられる。

それに、今回の変化の決定的な違いとして、これだけの規模の施設となれば、「資本」の力を感ぜざるを得ない。専用の敷地ではなく、Dom Joža Ažmana のアプローチを借りて十台程度のゴーカートに子供たちを乗せてやっていたおじいさんも、どう考えても半分以上個人の趣味でやっているような趣きだった豆機関車のおじさんも、いずれも個人経営だったと思われるのに対して、温水プール施設には個人の顔がなく、資本の力、資本の論理が感じられる。

僕の個人的なかかわりの持ち方は措いても、やはりこの十年のスロヴェニアの変化というのは、たとえば東独やボスニアやセルビアとまた違った意味で、それ自体興味深いものであるだろう。

    
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このページは、takuyaがavgust 27, 2005 10:54 PMに書いたブログ記事です。

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