なぜスロヴェニア? - ボヒン (1)
なぜスロヴェニアか?
元はと言えば、およそ10年前、ペーター・ハントケのDie Wiederholung、 『反復』という小説(1986年刊)の翻訳(1995年刊)に携わったからだ。(なぜハントケか、というのはまた別の話になる。)ハントケはオーストリアの、(スロヴェニアと国境を接する)ケルンテン地方出身の現存作家。母親がスロヴェニア系(ケルンテンには多い)で、『反復』は、主人公が自分のルーツを求めてスロヴェニアを旅する物語。
翻訳という作業には、ハントケのドイツ語が語っているものを自分の眼で見て、どういう日本語に移せばいいか考えなければならない部分がある。それでスロヴェニアに行った。1994年夏のことだ。首都のリュブリャーナは、1989年に一回訪れている。そのときはまだユーゴスラヴィアだった。そして1994年といえば、スロヴェニアの独立からまだ3年しか経っていなかった。
今現在、スロヴェニアに関する一番しっかりした旅行ガイドは、おそらく、オーストラリア(オーストリアではない)の出版社が出しているLonely Planet Sloveniaだが、1994年にはまだ出ていなかった。独立後間もないスロヴェニアに関する情報は、確実に今よりも、そしてたぶんそれ以前のユーゴ時代よりも、少なかったのではないかと思う。僕にとっての唯一のガイドは、ハントケの小説だった。ハントケ・オリエンテーリング。小説だから、すべてが「事実」通りであるわけでもない。交通機関や、宿泊施設についてもよく分からないまま、物語の中の記述をもとに、おそらくここだろう、おそらくこう行けばいいのだろうと見当をつけて回った。だから、少々の不安とともに、ちょっと冒険的な、ちょっとわくわくする部分があったように思う。
たとえばボヒン地方。物語を頼りに、物語通りに、オーストリアから列車でイェセニツェに入り、そこで乗り換えてボヒンスカ・ビストリツァで降りた。山の中の小さな駅。回りから一段高いところにあって、駅の背後は製材所だった。駅前の小さな広場から、ちょうどバスが発車するところで、運転手は、乗らないのか、と身振りで尋ねてきた。乗っていくべきものか、よく分からなかったから、いや、いい、と身振りで答えた。バスが降りていったのとは違う坂道を、スーツケースをひきずって下っていった。大きな牧草地が広がっていて、その真ん中に大きな黄色い教会が立っていた。

少し離れたところに、レストランらしきものが見えた。そこまでたどりついて、とにかく腹を満たす。正確に何を食べたのか覚えていないが、ドイツ-オーストリア系に近い食事も、たっぷりしたデザートも美味かった。レストランはペンションもやっていることが分かって、部屋も注文する。ペンション・トリピッチ(そう、いまでは「ホームページ」もある。でも当時はそんなものもなかった)。そこに漂着し、上陸した。
少し先には郵便局や、スーパーなど数軒の店もあった。町と呼ぶにはまばらで、村と呼ぶには大きい、そこが、ボヒン地方の入り口であり中心であるボヒンスカ・ビストリツァ Bohinjska Bistrica だった。町は清冽な小川を渡る石の橋で終わり、その向こうの道の両側には、まだまだ広大な牧草地が続いていた。
やがてここが、僕が好んで訪れる土地になる。