ドイツ人というのは、法に対する一種硬直した忠誠を抱えていることになっている。というか、いた。ヒトラーだってきわめて合法的に民主主義の中から出てきたのだし(そもそも法というのは共同体内部のもの、近代で言えばネイションの内部のものだということに気をつけておく必要があるだろう。「国際法」のステイタスは本質的に今でも不安定なままだ)。赤信号で絶対に道を渡らないのがドイツ、赤でも渡るのがフランス、赤のときに渡るのがイタリア、とか、バスの車内に、ドイツでは「運転手に話しかけないでください」、イタリアやスペインでは「運転手が話しかけてきても応えないでください」と書かれている、とか、まことしやかに語られていた。たぶん一面の真実だ(ったのだ)ろう。
ドイツで、赤信号で道を横断したことがある。ボンのホーフガルテンの南西端の横断歩道。道のこちら側には僕一人、あちら側にはいかつい顔のおばちゃん一人。見はるかすかぎり右にも左にも車の影も見えない。(ちなみに、日本では歩行者は右を見て左を見て右を見て渡らなければいけないが、車が右側を走る欧州では、左を見て右を見て左を見て渡らなければいけない。)そのとき、おばちゃんは、赤にもかかわらず横断した僕の通り過ぎざま、「犯罪者! Verbrecher! 」とのたまったものだ。罵られた僕は、「ああ、ドイツだぁ」と思って、かえって何だか嬉しくなってしまった。こんなドイツ人も、もはや死滅しつつあるのが実情ではないかと思う。
追記:
路上の交通信号の歴史については、ドイツの放送局 SWR 系の子供向けのサイトのこの記事がコンパクトで面白い。
ちょっと考えれば分かることだけれど、交通信号はそう古いものではない。20世紀の産物だ。だから信号に対するドイツ人の忠誠というのも歴史的にそう古いものではないことになる。
初めて路上の交通信号が作られたのは1868年のロンドン。馬車の交通整理のためだった。しかしこの信号、ガス灯だったものだから爆発事故を起こした。爆発する信号機、って、われわれにはなかなか新鮮なイメージだ。当時は笑い事ではなかっただろうけれど。
すでに鉄道で使われていた電気による信号を路上に導入することを考えたのは、デトロイトの警察官、ウィリアム・ポッツ。車が増え、事故が増えてきたことに対する策だった。デトロイトの交差点で、別の方向を向いた信号機同士が連携して色を変えるこのシステムが初稼働したのは1919年1月2日のことだった。これも今から考えれば、単純なアルゴリズムだと思えるけれど、当時は知恵を絞ったんだろうなあ。
このアメリカのものに倣った信号機がドイツに入ったのはその5年後。1924年ベルリンのポツダム広場。
さて日本はどうだったのか?
肝心の「どう渡るか」という話、「チューリヒ日記」の著者、tsujigaku氏によれば、スイスでは、一応車が来ていないのを確かめた上で赤信号でも渡っている、とのこと。われわれの感覚からすると、至極ふつーでまっとうで当たり前じゃん。それから、ベルンのバスには「運転手に話しかけるのは賢くない」と書かれているが、チューリヒでは見かけない、のだそうだ。



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