山道は終わりだが、この谷の舗装道路を下っていくと、まだ見ものがある。まず途中、左手の路傍に大きな石造りのキリスト磔刑像がある。途中の集落で道が二手に分かれるところでは、橋を渡って右の道が車が通らなくていい。すぐにまた合して、もう一度二手に分かれるところが Murbach の村。山あいに唐突に出現する巨大なロマネスク様式の教会(かつての修道教会)を真ん中に、道は左右に分かれて通っているのだ。家は十軒もあるだろうか。車道に出てからここまで15分程度。教会を見学するなら左の道がいい。

右の道を行くとすぐに、小川にかかる木橋があって右の山に入る道がついている。これがここから Munsteraeckerle に登るときの登山口(青丸の印)。これをやりすごして舗装道路を進むとすぐにまた教会の左を通ってきた道に合し、Murbach の犬の紋章の付いたバロック様式の石造りの門をくぐる。かつての修道院の入り口だ。出た右の石壁に小さな入り口がくり抜かれていて、"EXPO" という札がある。中は、中世の修道院の菜園を再現したような小さなハーブ園になっている。フェンネルやアニスの花には蜂がむらがっている。
ここに修道院がつくられたのは13世紀初頭のこと。修道院はLauchラウフ谷やThurトゥール谷一帯の領主であり、山地を出たところにGuebwiller ギュープビラーやSt. Amarin 聖アマーリンの城塞都市を建設した。上部ラインの広い範囲を支配していたのだ。農民戦争の終結後、ムアバッハは南部アルザスにおけるハプスブルク家と反宗教改革の重要な拠点となった。三十年戦争の終結した1680年以後は、一帯はフランス領となる。18世紀なかばになると修道士たちはこの山あいの修道院を捨て、Guebwillerの町に拠点を移して騎士団となる。その際、Guebwillerの聖母教会の建設に、ムアバッハの石材が流用された。その残りがムルバッハの教区協会となった。しかしそのわずか数年後に、ムアバッハの修道院はフランス革命によってその歴史を閉じる。騎士団は廃され、教会は1798年に農民たちによって略奪される。
18世紀に側廊が取り壊されたため、現在残っているのは翼廊だけである。二つの四角く高い塔。ところどころに残るロマネスクの装飾。

もちろん、アルザス一帯が、20世紀前半にはドイツとフランスの間の争奪の対象となったことも忘れてはならない。
ムアバッハからサン・バルナベにはさらに15分ほど下る。サン・バルナベに着く直前、道の左側には、ミント系の草が二種類自生していて、ここにも蜂たちが集まっている。なお、この谷の道路脇にはイラクサも多いから注意のこと。




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